2014年07月30日

『ウソをつく愚かな人でいるより、貧乏だけれど正直でいる方が良い。(聖書の格言(箴言)19章1節、Good News Bible PROVERBS 19.1.の翻訳)』との聖書の格言(箴言)の言葉は、

『愚かさ』と『正直』という二つの重要なキーワードが書かれている 聖書の格言の一つです。ここの二つをつなぐ言葉が、『ウソをつく』と『正直さ』 という言葉だと思います。『ウソ』は、『正直』の反対語です。


以前に、ウソにもいろいろあると申しました。そして、『【自分自身を騙す】ウソ』を取り上げましたが、相当複雑な話だったかと思います。

ですが、ここの聖書の格言(箴言)で「ウソ」というのは、自分を守るために、事実でないと自分で分かっていながら、事実でない事や事実でない気持ちを 思わず相手に伝える、そういう事を言っているのだと思います。

それが、なぜ起こるのかと申しますと、私の考えでは、『恐れ』が その原因だと思います。

神様に罰せられると思って、昔、カインが神様にウソをついた話(創世記49節)は有名です事実を言ってしまうと怖いから、オブラートに包んで話す。あるいは、全く事実でない事を 本当のように言う。聖書では、これを一番いけないこととして記しています。


この「ウソ」が何故いけないかと言えば、それは、神様の守りを信ぜず、人に良く思われたい気持ちが、神様に良く思われたい気持に優先するからです。その気持ちは、とりもなおさず、神様を信じていない、神様を信頼していない、神様を愛していない証拠だからでしょう。


ですから、聖書の教えでは、『人に良く思われたい』という気持ちを とても低い価値と見ているのは、その為です


それは、神様に知ってもらい、「神様が、自分と共にいて、自分を守ってくださっている」という、神様への信頼の気持ちと正反対で、神様への信頼の気持ちが無い事を表しているからです。


だから、それは、神様への信頼、信仰が無い状態、つまり悪魔的な心として、非常に嫌われるのだと思います。


キリスト教文化の面から言いますと、「ウソ」を言う人は信頼されず、尊敬されない事になります。キリスト教思想と言いますか、聖書の記述の中では、この『真実』という事が、人の善悪を見分けられるしるしと考えられ、「正直」は、『人のかなり高い徳である』と考えられているのは、そのためです。


欧米に行けば、クリスチャンでない人は信用されないという事実があります。それは、その事を物語っていると思います。欧米キリスト教国内で、事実をありのままに伝えようという『勇気』が、尊重される理由でもあります。


≪まとめ≫

日本で、『馬鹿正直』という言葉がありますが、その馬鹿正直と言って『正直を軽蔑する考え方』がどんなに間違っているかが、ここの聖書の格言(箴言)191節でも よく分かります。

2009.9.2.) (2013.10.23.改訂)(2014.7.30.一部加筆)  (2014.7.30.再投稿)

【ご注意】

このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【200786日〜2014331日】に、 きわめて人気が高かったブログのうち 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 

その理由は、LOVELOG』からシーサーブログに移行して以来、201471日からは、すべての検索サイトでの検索から、 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなりました。その後、718日ころからは ふたたびシーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが、検索サイトから削除されました。  そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能だからです。 

そこで 読者の便利さを考えて、この再投稿も続けます

今日はその一環として2009.9.2.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。


【『愚かさ』と『正直』という重要なキーワード。の最新記事】

2014年07月29日

今日(2013.5.24.)は『聖霊(The Holy Spirit)が人に宿るという事実』は、どういうものかの話をします。2013.5.19.(日)10時半から日本福音ルーテル東京教会で

合同礼拝がありました。礼拝終了直後には、イタリアの慣習に従って牧師たちがバラの花びらをカゴに入れて聴衆の頭上にいっぱいふりまきました。213名の参会者がありました。私は昨年暮れに着任した新牧師のErik Rothさんのお誘いで、この礼拝に行ってきました。妻は、先週水曜日から始まった右足の筋肉痛のため、まったく歩けなくなったので行けませんでした。


礼拝では、まず使徒たちの行動(使徒行伝、使徒言行録、THE ACTS of the Apostlees21節〜16節が読まれました。ここには、『ペンテコステ【五旬祭(ごじゅんさい)】の日が来て、信者たち全員が1か所に集まっていた時、2 急に強い風が吹いてくるような音がして、彼らが座っていた家全体に響きました。3 そこで、火の舌のようなものが伸びてきて、そこにいた人々に触れました。4 彼らは皆、聖霊に満たされて、聖霊が彼らをしゃべれるようにしたので、それぞれが別の言葉で話し始めました。(使徒たちの行動(使徒行伝、使徒言行録)21から4節、bGood News Bible, Good News Translation ACTS2.1-4の翻訳)』という、なんとも不思議な出来事に見える書き出しで始まる個所です。しかしここを読み進んでゆきますと、『5 世界中のそれぞれの国から来たジェルースレム(エルサレム)に住むユダヤ人たちで、神様がいらっしゃることを強く信じる人たち(religious people)が、そこにはいました。(使徒たちの行動(使徒行伝、使徒言行録)25bGood News Bible, Good News Translation ACTS2.5の翻訳)』と書かれています。

このあとの聖書の翻訳は省略しますが、要するに、その信者たちが、自分の国の言葉で、神様がなさった素晴らしいことを 自分自身の母国語で話し始めた(同11節b)のです。


【関野 和寛牧師のお話】

ここでの関野和寛牧師のお話は、たいへん感動的で信仰的でした。それをErik Roth牧師が、逐次、英語に翻訳しました。 そのお話の内容を不完全ながら以下に要約します。


ここをどう解釈するかですが、関野牧師は、彼らが、これをすべての人々にジーザスが救い主だということを伝えたくなった、その心の表れだと、とらえているようでした。それが、聖霊の働きなのです。

おにぎりのおいしさを伝えてゆくのに 言葉は要りません。おいしそうな表情、おいしそうに食べる食べ方で、そのおにぎりがおいしいことが伝わるのです。

それと同じように、ジーザスに救われた救いの喜びも、まず、言葉で伝えるのではなく、当時の人々は、その喜びの表情や、しぐさで伝えていったのです。


キリストの弟子たちにも、強さや知識はありませんでした。それなのに、ジーザスの救いの喜びの知らせは、その後、強く広く 全世界に伝わっていったのです。

ですから、『言葉は、最後でいいのです!(The word should be the last!)』というのが、だいたいのお話だったと思います。


【聖霊(The Holy Spirit)が、人に宿るわけ】

私が思うに、人に「自分がジーザスに救われた喜びと救われた感動の体験」が無ければ、人は何を話しても、いっさい無駄だと思います。牧師がいくら名演説をしても、無駄だと思います。いくら論理的に整然と話をし、聖書の解釈の古い間違った部分を批判し、新しい解釈を述べ、人の理性に訴えるやり方で、しかも人を傷つけない言葉を選んで話をしても、その『救われた喜びの一粒の体験』が無い人の話す言葉は、人を救うのに役立ちません。それは無益だと思います。ジーザスの福音を伝えるためには、それらは役立たないのです。


それは、心に深い喜びの無い人が 上手に古典音楽を演奏するのと似ています


ジーザスに心が救われたたった一粒の喜びの体験からだけ、聖霊は人に宿るのです。牧師・祭司・神父の力によるのではありません。もちろん私の力によるのでもありません、それは聖霊の力によるのです。


聖霊は、聖書の知識や、理性的な研究や、信仰生活の長さから与えられるものではありません。今日、今、神様から聞いたほんとうの事を、ほんとうだと心から受け入れ、自分の心が神様のほうに向いて新たにされたときに、人には聖霊が宿るのだと思います。


この聖霊は、ペンテコステの出来事のように、大波のように人々の心を揺り動かします。

そして、何の牧師の資格もない人たちが、かえって自分の言葉で、神様とジーザスの救いを喜びを持って、周りの人たちに伝え始めるのです。


今の日本をはじめ、ジーザスへの信仰が、増えない地域、むしろ減ってゆく地域・国々の人々には、間違いなく、このすべての人に宿る聖霊が、活発に湧かないためだと言えるでしょう


≪まとめ≫

神様からの救いのメッセージを伝えられる人には、「自分がジーザスに救われた喜びと感動の体験」が、どうしてもなければなりません

それが、人々にジーザスが救い主だと伝えられるための、必要最小限、唯一無二の資質だからです。

2013.5.24.) (2013.9.8.改訂) (2014.7.28.再投稿)


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今日はその一環として2013.5.24.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。
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2014年07月28日

今日(2013.5.24.)は、『聖霊(The Holy Spirit)が人に宿るという事実』は、どういうものかの話をします。2013.5.19.(日)10時半から、日本福音ルーテル東京教会でペンテコステ(聖霊降誕節)を祝う英語礼拝との

合同礼拝がありました。礼拝終了直後には、イタリアの慣習に従って牧師たちがバラの花びらをカゴに入れて聴衆の頭上にいっぱいふりまきました。213名の参会者がありました。私は昨年暮れに着任した新牧師のErik Rothさんのお誘いで、この礼拝に行ってきました。妻は、先週水曜日から始まった右足の筋肉痛のため、まったく歩けなくなったので行けませんでした。


礼拝では、まず使徒たちの行動(使徒行伝、使徒言行録、THE ACTS of the Apostlees21節〜16節が読まれました。ここには、『ペンテコステ【五旬祭(ごじゅんさい)】の日が来て、信者たち全員が1か所に集まっていた時、2 急に強い風が吹いてくるような音がして、彼らが座っていた家全体に響きました。3 そこで、火の舌のようなものが伸びてきて、そこにいた人々に触れました。4 彼らは皆、聖霊に満たされて、聖霊が彼らをしゃべれるようにしたので、それぞれが別の言葉で話し始めました。(使徒たちの行動(使徒行伝、使徒言行録)21から4節、bGood News Bible, Good News Translation ACTS2.1-4の翻訳)』という、なんとも不思議な出来事に見える書き出しで始まる個所です。しかしここを読み進んでゆきますと、『5 世界中のそれぞれの国から来たジェルースレム(エルサレム)に住むユダヤ人たちで、神様がいらっしゃることを強く信じる人たち(religious people)が、そこにはいました。(使徒たちの行動(使徒行伝、使徒言行録)25bGood News Bible, Good News Translation ACTS2.5の翻訳)』と書かれています。

このあとの聖書の翻訳は省略しますが、要するに、その信者たちが、自分の国の言葉で、神様がなさった素晴らしいことを 自分自身の母国語で話し始めた(同11節b)のです。


【関野 和寛牧師のお話】

ここでの関野和寛牧師のお話は、たいへん感動的で信仰的でした。それをErik Roth牧師が、逐次、英語に翻訳しました。 そのお話の内容を不完全ながら以下に要約します。


ここをどう解釈するかですが、関野牧師は、彼らが、これをすべての人々にジーザスが救い主だということを伝えたくなった、その心の表れだと、とらえているようでした。それが、聖霊の働きなのです。

おにぎりのおいしさを伝えてゆくのに 言葉は要りません。おいしそうな表情、おいしそうに食べる食べ方で、そのおにぎりがおいしいことが伝わるのです。

それと同じように、ジーザスに救われた救いの喜びも、まず、言葉で伝えるのではなく、当時の人々は、その喜びの表情や、しぐさで伝えていったのです。


キリストの弟子たちにも、強さや知識はありませんでした。それなのに、ジーザスの救いの喜びの知らせは、その後、強く広く 全世界に伝わっていったのです。

ですから、『言葉は、最後でいいのです!(The word should be the last!)』というのが、だいたいのお話だったと思います。


【聖霊(The Holy Spirit)が、人に宿るわけ】

私が思うに、人に「自分がジーザスに救われた喜びと救われた感動の体験」が無ければ、人は何を話しても、いっさい無駄だと思います。牧師がいくら名演説をしても、無駄だと思います。いくら論理的に整然と話をし、聖書の解釈の古い間違った部分を批判し、新しい解釈を述べ、人の理性に訴えるやり方で、しかも人を傷つけない言葉を選んで話をしても、その『救われた喜びの一粒の体験』が無い人の話す言葉は、人を救うのに役立ちません。それは無益だと思います。ジーザスの福音を伝えるためには、それらは役立たないのです。


それは、心に深い喜びの無い人が 上手に古典音楽を演奏するのと似ています


ジーザスに心が救われたたった一粒の喜びの体験からだけ、聖霊は人に宿るのです。牧師・祭司・神父の力によるのではありません。もちろん私の力によるのでもありません、それは聖霊の力によるのです。


聖霊は、聖書の知識や、理性的な研究や、信仰生活の長さから与えられるものではありません。今日、今、神様から聞いたほんとうの事を、ほんとうだと心から受け入れ、自分の心が神様のほうに向いて新たにされたときに、人には聖霊が宿るのだと思います。


この聖霊は、ペンテコステの出来事のように、大波のように人々の心を揺り動かします。

そして、何の牧師の資格もない人たちが、かえって自分の言葉で、神様とジーザスの救いを喜びを持って、周りの人たちに伝え始めるのです。


今の日本をはじめ、ジーザスへの信仰が、増えない地域、むしろ減ってゆく地域・国々の人々には、間違いなく、このすべての人に宿る聖霊が、活発に湧かないためだと言えるでしょう


≪まとめ≫

神様からの救いのメッセージを伝えられる人には、「自分がジーザスに救われた喜びと感動の体験」が、どうしてもなければなりません

それが、人々にジーザスが救い主だと伝えられるための、必要最小限、唯一無二の資質だからです。

2013.5.24.) (2013.9.8.改訂) (2014.7.28.再投稿)


【ご注意】

このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【200786日〜2014331日】に、 きわめて人気が高かったブログのうち 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。

その理由は、LOVELOG』からシーサーブログに移行して以来、201471日からは、すべての検索サイトでの検索から、 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなりました。その後、718日ころからは ふたたびシーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが、検索サイトから削除されました。  そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能だからです。 

そこで 読者の便利さを考えて、この再投稿も続けます

今日はその一環として2013.5.24.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

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2014年07月27日

以下は「各種ブラウザーで検索されたキーワードに対応する、正確なブログ(シーサーブログ)のURL表」です。今日は、2014.7.1.〜7.26.の分を追加記載しました。

2014.5.18.のブログの「ラヴログ」から「シーサーブログ」への移行に伴い、ヤフーやグーグル、msn などの検索サイトにキーワードを入れて検索して出てくる私のブログの ほとんどが、ラヴログのdionのページか、シーサーブログのトップページを表示しています。

ですから、検索された方に大変ご迷惑をおかけしています。読者が「お気に入り」に入れてある dionのlovelogのページも 同様にシーサーブログのトップページへと飛ぶ状況です。


そこでこのご不便を考えて、引き続き、2014.7.1.から2014.7.26.までに検索された キーワードについて、そのページに正確に飛べるように、以下にそれぞれのURLを記載します。

以下の青色の文字のURLをクリックすれば、すぐにその内容のページに飛びます

なお、そのキーワードで ヒットした順位(位/件中)も記載しました。


URL カテゴリーまたはタグ 検索されたキーワード   位/件    投稿日付   訪問日 

2014.7.1.7.26.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743275-1.html    『人を裁くな??』。

     人を裁くな4/43,900  2010.6.25.   2014.7.1.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743516-1.html   『天に宝をたくわえる』のほんとうの意味。

   天に宝を積む Bible in English   77/63,000  2011.6.14.  2014.7.1.


http://khyop91.seesaa.net/category/22882797-1.html    嗣業(しぎょう)??

    嗣業 聖書の言葉の解釈   1/26,500  2010.3.21.   2014.7.4.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743254-1.html   『私たちの復活』について考える。

     フィガロの結婚 なぜ愛される  ?/15,900   2010.5.23.   2014.7.7.


http://khyop91.seesaa.net/category/23005265-1.html   『神様と主がなさった素晴らしい事』〜御業(みわざ)?

     聖書 英文 御業   2/62,200   2009.10.18.   2014.7.11.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742800-1.html    神と富とに兼ね仕うることあたわず

    マタイ6.24.  ?/11,900  2008.1.18.  2014.7.16.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742611-1.html    性愛(エロス)と聖愛(アガペー)?

    広い意味 エロス  ?/3,740,000   2007.9.4.  2014.7.16.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743505-1.html ストレスが解消される「祈り」について。

      讃美歌 山辺に向かいて我  10/7,950  2011.5.27.    2014.7.18.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743648-1.html    『心の「蔵(くら)」について。    死に物狂いで働く 英訳  11/253,000   2012.5.6.   2014.7.18.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743571-1.html  『みだらな思いで他人の妻を見る??』

   性的  英語でtouch    10/42,500   2011.9.30.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743067-1.html   『「ウソ」から「スィン(sin)」までの研究』。

   聖書 スィンとシン5/1,020  2009.7.26.   2014.7.18.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743314-1.html   『「家族愛」を大切に思う欧米の思想』について。

   聖書 家族観  4/142,000    2010.9.26.   2014.7.20.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743587-1.html   神様に喜ばれる「新年の祝い方」。

   気持ちが大切  ?/18,000,000    2012.1.1.   2014.7.21.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743135-1.html        声帯形成手術。

   声帯内自家脂肪注目  ?/285,000   2009.9.18.   2014.7.24.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743120-1.html  『敵を呪ったように見える聖書の言葉。』の意味。

   旧約聖書  サーム   4/885    2009.9.9.    2014.7.25.

  以上。


≪まとめ≫

以上、2014.7.1.2014.7.26.までの 「アクセスした人が正しく検索できなかったキーワード」と その正しい検索先URL を記載しました。

青色の文字のURLをクリックすれば、すぐにその内容のページに飛びます

なお、一部、そのキーワードでヒットした順位(位/件中)も記載しました。

2914.727.


2014年07月26日

私たちのストレスは、どうやって解消されるのでしょうか?日本の讃美歌に文語調ですが、『山辺(やまべ)に向かいて我(われ)、目をあぐ…』という非常に有名な美しい賛美歌が

あります。今日は、これを使って、『祈り』の話をします。

『祈り』というのは確かに 人が一人(ひとり)、こころが孤独になった時に起こるものです。

しかもその「孤独」は、なにも環境的に孤独でなくてもよいのです。人がそばにいても良い。


しかし、「祈りのときの孤独」は、心が楽しい孤独の瞬間です。それは、強いて言えば、心がさびしい、そういう時なのかもしれません。神様を慕っていて、心がさびしいのです

でもそれは、私が一瞬でも神様に向かいあっていられる時です。

それは私にとって、最高の幸福(至福)の時、楽しいひと時なのです

これを楽しい孤独(happy solitude)と言ってよいと思います。


目をあげる対象は、何も「山」でなくてもよいのです、「雲」でもよい、「空(そら)」でもよい、森林の樹木でもよい。たいてい それは大自然です。じっとその美しさ、荘厳さ、偉大さに感動して見入っている時、神様のなぐさめの声が静かに私に響いて来ます

神様への思いが、私に湧いてきます。そして それが一瞬でも神様とお話しが出来る時なのです。 聖書を読むときと同様に、それが、私の祈りの時です。


冒頭の讃美歌は、サーム(詩篇)121篇から取られたものです。Good News Bible, Good News Translationでは、「主― 私たちの守り手」との表題がつけられています。

それには、『私は山に向かって目をあげる;私の助けはどこから来るのだろうか?2 私の助けは、天と地をつくられた主から来る。(サーム(詩篇)1211から2節、Good News Bible, Good News Translation PSALMS 121.1.-2.の翻訳)』とあります。

孤独なとき、『私の助けはどこから来るのだろうか?それは、天と地をつくられた主から来るのだ。』という確信だけが、私を慰めます。

そしてその時、神様は私に、「もっとも 今じなければいけない事」を教え、「今もっとも持つほうがよい心」を与えて下さいます。それによってだけ私は、いろいろなストレスから解放され、心が安らぐのです。


何かの気晴らしだけで、心が安らぐということは、私の場合、決してありません。


≪まとめ≫

私が何か失敗をした時、人からの愛を失ったと感ぜられた時、貧乏でお金がまったく無くなった時、病気になった時、人に捨てられた時、そのほか悩み苦しい時、さびしい時、私は神様に向かって神様を見つめます。その時、私には、えも言われない平安が宿るのです。

「神様」とは、そういうときに感ぜられるものです。「祈り」とは、そういうものだと思います。

神様への信仰(神様への信頼)も、すべてそこから始まるのだと思います。

追記

2011.4.30.PCのブログから、文末に「いいね!」マークを付けています。これはfacebookフェイスブックの登録者の何人が「いいね!」の反応をするかを調べるためです。Facebookへの登録を強制しているものではありません。  【花田桂一】

2011.5.27.)(2014.7.26.一部改訂・増補のあと再投稿)



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今日はその一環として2011.5.27.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

2014年07月25日

今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です

ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

2010.3.21.)(2014.7.25.再投稿)



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その理由は、LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、201471日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、718日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 

そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます

今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。


*この再度の「再投稿」は、これを今日 私のフェイスブックのページに連携させるためのものです。



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2014年07月24日

今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

________________________________________
【ご注意】
このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
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このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
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ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
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ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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【ご注意】
このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

*この再度の「再投稿」は、これを今日 私のフェイスブックのページに連携させるためのものです。
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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」と

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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【ご注意】
このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

*この再度の「再投稿」は、これを今日 私のフェイスブックのページに連携させるためのものです。
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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
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その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなり、その後、7月18日ころからふたたび、シーサーブログの私のトップページを表示するようになりましたが、『LOVELOG』時代の多くのブログが削除されました。そのため、検索での閲覧は、ほぼ不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉が

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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2014年07月23日

今日は、聖書の『

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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2014年07月22日

記事のタイトル

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべての検索サイトでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿も続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

*この再度の「再投稿」は、これを今日 私のフェイスブックのページに連携させるためのものです。
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2014年07月21日

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ところで、
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2014年07月20日

今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

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【ご注意】
このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 きわめて人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

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2014年07月18日

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テスト
テスト
テスト
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2014年07月17日

今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

________________________________________【ご注意】
このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 きわめて人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

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2014年07月16日

今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)



【ご注意】

このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【200786日〜2014331日】に、 きわめて人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。

その理由は、LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、201471日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 

そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。

今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。


*この再度の「再投稿」は、これを今日 私のフェイスブックのページに連携させるためのものです。



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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

________________________________________
【ご注意】
このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 きわめて人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

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2014年07月15日

テスト今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

テスト。ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。
その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。
一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。

聖書の格言8章17節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言8章17節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。
これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。
ところで、日本語聖書の箴言8章21節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言8章21節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVのinherit wealth(受け継げる財産)、NIVのtreasures(宝物)、NRSV、GNTのwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。
ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)8章20〜21節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。

≪まとめ≫
翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。
(2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)

________________________________________【ご注意】
このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【2007年8月6日〜2014年3月31日】に、 きわめて人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 
その理由は、『LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、2014年7月1日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 
そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。
今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。

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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)



【ご注意】

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今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。


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2014年07月12日

今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)


【ご注意】

このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【200786日〜2014331日】に、 きわめて人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。

その理由は、LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、201471日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 

そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。

今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。なお、もとの2010.3.21.付けのシーサブログの新URLは、

http://khyop91.seesaa.net/category/22882797-1.htmlです。


*この再度の「再投稿」は、これを今日 私のフェイスブックのページに連携させるためのものです。


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テスト

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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

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今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

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ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)




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その理由は、LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、201471日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 

そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。

今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。なお、もとの2010.3.21.付けのシーサブログの新URLは、

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2014年07月11日

今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と呼びます。

ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


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翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

2010.3.21.)(2014.7.11.再投稿)


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ところで、ここで『知恵』と日本語に翻訳された英語の『wisdom』は、『賢い決断ができる能力で、経験と知識から、人に良いアドバイスが出来る能力』とOXFORD現代英・英辞典では説明しています。ところが、広辞苑では、『知恵』は、『物事の理(すじ道)を悟り、適切に処理する能力』とあり、さらに仏教用語として『真理を明らかにして、悟りを開く能力』とあります。いずれも英語の『wisdom』とは、かけ離れた意味です。

その『wisdom』を日本語の聖書で『知恵』と翻訳するしかないわけですから、この日本語の聖書を読む限りは、聖書について頓珍漢な理解をする事になります。

一番間違った解釈は『知恵とは神の「存在」を信じる事だ。』という解釈です。これは観念的だし、信仰を誇るような とんでもない間違いです。それは知恵を得る遠い原因にはなっても、『知恵』そのものではないからです。『知恵』とは、『生きている神様がいつも自分のそばにいて、自分を愛し守って下さる事を信じた上でする、日常生活での良い正しい判断・決断と、その判断・決断能力の事』でしょう。


聖書の格言817節に、『17 私(wisdom)は、私を愛する人を愛します;私を訪ね求める人は、誰でも、私を見つける事が出来ます。(聖書の格言817節、Good News Bible, Good News Translation,PROVERBS8.17.の翻訳)』とあります。

これは「wisdom」が、抽象的、観念的なものではなく、実際的な力である事をよく表している個所だと思います。

ところで、日本語聖書の箴言821節に『21 わたし(知恵)を愛する人は、嗣業(しぎょう)を得る。わたしは彼らの蔵を満たす。(箴言821節、新共同訳聖書)』とあります。ここの言葉『嗣業(しぎょう)』は、日本語聖書のあちらこちらに、ふんだんに出てくるキリスト教界での日本語聖書特有の専門用語です。英語の聖書では、NKJVinherit wealth(受け継げる財産)、NIVtreasures(宝物)、NRSVGNTwealth(富)とここは訳されています。ところが日本では、全聖書が機械的に、すべて『嗣業(しぎょう)』となっています。これは翻訳した人たちが、人々に聖書を理解させて読まさせようとする『wisdom』に欠けている証拠ではないでしょうか!こんな、広辞苑にも載っていない『嗣業(しぎょう)』などという言葉を平気で使う聖書の翻訳は、「まず専門用語を勉強して来なさい。」と言わんばかりの傲慢な態度を感じさせるし、誤解も生む危険な翻訳の一つだと言わざるを得ません。

ここは、Good News Bible, Good News Translationでは「20 私(wisdom)は、正しさの中を歩み;正義の道に従います。21 そして私を愛する人たちに富をもたらし、彼らの家を宝物で満たします。(聖書の格言(箴言)82021節、Good News Bible, Good News Translation, PROVERBS8.20-21の翻訳)」と、分かり易く翻訳してあります。これは実際的な『知恵の効果』を良く表していると思います。


≪まとめ≫

翻訳の仕方一つで、聖書は分かりにくくもなるし、分かり易くもなります。また誤解を生み危険な翻訳にさえなります。これは、分かりにくいものを有難がる迷信家は別として、多くの熱心で真面目な読者を聖書から離れさせる効果を持ち、大変に憂慮すべき事だと思います。

2010.3.21.) (2014.7.11.再投稿)





【ご注意】


このブログ 『聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳』が、au one netのブログ『LOVELOG』として投稿されていた当時 【200786日〜2014331日】に、 きわめて人気が高かったブログについて このたび 順序不同で 同じものを再投稿することにしました。 


その理由は、LOVELOG』からシーサブログに移行して以来、201471日からは、すべてのブラウザでの検索から 『LOVELOGのサービス終了について』の文面しか 出てこなくなったためです。そのため、検索での閲覧は不可能です。 


そこで 読者の便利さを考えて、今後も この再投稿を続けます。


今日はその一環として2010.3.21.付けの文章を ここに投稿します。ほぼまったく同じもので、投稿日も変えていません。








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2014年07月06日

『6 私たちを新しい契約に仕えられるようにさせたのは、彼(ジーザス)であり、その契約は、書かれた律法から出来ているのではなく、聖霊から成り立っているのです。書かれた律法は死をもたらしますが、聖霊は私たちに命を与えます。(2カリンシアンズ(コリントの人たちへの

第二の手紙)36節、Good News Bible Good News Translation )』 とある個所を、『奇蹟の記事の解釈の仕方』という別の角度から 説明します。 ここで「書かれた律法」とは、「聖書の言葉の字面(じづら)」のことです。

日本福音ルーテル東京教会Erik Rothさんのバイブルクラスには、信者と不信者が混在して出席しているのが特徴です。2014.6.26.のバイブルクラスの後での「飲み会」で、私の隣に座った不信者の男性は、コンピュータが専門の大学教授で、この東京教会には幼少の頃ずっと通っていたとのことでした。 ここのバイブルクラスには昔からずっと出ているそうです。


その人が、その時、≪キリスト教や、牧師、宣教師の話には、必ず『ジーザスが水の上を歩いたとか、死人が生き返ったとか、すぐに奇蹟の話が出てくるから、バカらしくてついてゆけない、またキリストが人々の罪を十字架上の死によって贖(あがな)ったという信仰(贖罪(しょくざい)の信仰)もばからしい。』≫と 私に言われました。


しかし、それなのに彼は日本福音ルーテル東京教会のバイブルクラスにもときどき出ている。日曜日の礼拝にも、出る時は出るのです。

だから彼には、キリスト教にひかれるものがあると思われるのですが、キリスト教の信仰(神様への信頼)は、なかなか持てないというわけです。持てないのは、神様が持たせないのだと言ってしまええば それでおしまいですが、どうも、ほかの原因もあると思えました。しかし、私には、彼の意見はよくわかります。


ところで、こういう彼みたいな考えの日本の知識人は、とても多いのです。その理由を考えてみました。彼らは知識人なので、科学・学問上の真理の探究を尊んでいるからです。だから、「その分野での真理の法則」は、必ず、不変なものとしてあるという大前提を持って勉強もし、研究もし、仕事もしてきた人たちです。

『真理』と言っても、物理学上の真理の法則のように、その【真理の法則の中では】法則は不変だからこそ、人間の文化文明の基礎である科学や、科学技術、文明、文化、医療技術などが発展してきました。私たちは、それのおかげで、電車にも乗れるし、ビルも建てられる、自動車も、物理法則を前提に成り立っているから走っているのですよね?。 だから、学問上の新しい真理を尊ばないのは、愚かしいことです。

奇跡の記事の解釈の仕方には、3種類あると思います。

.一つには、人間が、その幼い知識によって、実は真理ではないのに真理だと思っていたことが、実は真理ではないことが、別の現象でわかる。 そういう 『真理だと思っていたこと』が、破られた瞬間に感じる「奇蹟感」です。』


2. つぎに、そういうことが起こるのではないかという「期待感」を持っている時に、それが起こったと「感じた時」に起こる「奇蹟感」でしょう。  

現代では、心肺が停止して2日もたった人が生き返るとは誰も信じませんから、そういう死人が生き返ることは誰も期待しません。ですから、この2番目の「奇蹟感」は起こりえないのです。水の上を歩くということも、少なくとも人間の場合にはできないことが物理学上の知識から明白ですから、そんなことは期待もしません。ですから、水の上を人が歩いたという「奇蹟感」事態が起こり得ません。

しかし、そういうことが起こり得るかもしれない、神様ならそういう事を起こすかもしれない と思っていた昔の人には、そういう奇跡が起こったという「奇蹟感の感動」は、容易にありえたと思われます。  

まったく「期待感」がないところには、奇跡は起こらないのです。

昔の人は、死人が生き返るという事を神様なら出来るという 多少なりとも期待感や信仰(神様への信頼)がありました。 ですから、死人が生き返ったというように、事柄を誇張して考え易かったのでしょう。 それはウソをついたのではありません。だから当時の信仰をバカらしい信仰(神様への信頼)だと けなすことはできません。それは『神様の全能を信じる信仰に基づいた感動』を表しているだけだからです。

東日本大震災は、その時起こるとは想定出来なかったとしても、人々が、「そういう大地震はあり得ないと固く信じることはできなかった」 から、容易に、「東日本大震災」は神様が起こした奇蹟だとも信じることが出来るわけです。


3 第3は、現在、世界中の多くのキリスト教界の中で行われている説明、あるいは信じ方です。しかし、これはとても危険な信じ方で、現代の多くの 少なくとも不信者の人々から排斥される信じ方です。

それは、『神様は自然法則も含めて、すべての法則を作った方ですから、その作った方が、その自然法則を破ることは出来る。』 と考えて、聖書に記されている「自然法則に反する奇蹟」のすべてを 言葉そのままに信じる、という「奇蹟感」です。

これは、一種の三段論法を使って、論理的、観念的に聖書の奇蹟を その聖書に書かれた言葉通りであると無理に信じる、あるいは信じさせるやり方です。 

だからこれは、一種の『キリスト教信仰の原理主義』とも言えるかと思います。

しかし、この信じ方は、困ったことに、真理は不変であるとの前提に立つ科学的方法に 矛盾します。神と人とは違うと言って 矛盾しないと主張しても、多少なりとも、それに水を差す考え方でありまして、物理学者を始め、科学者には、やすやすとは受け入れられないばかりか、科学・学問をする気力を減らし、その発展を阻害しかねません。


≪まとめ≫

聖書の言葉は、言葉の文字どおりを信じる読み方だけでは足りません。

言葉の文字の裏に隠れた「その精神」「その感動」を知ることこそが重要です。

Erik Rothさんに言わせれば、言葉が表わしている『象徴的な意味』が大切なのです。

聖書は、もともとその裏に隠された神様のこころ、神様の思い、神様の愛を人に、暗に知らせるために書かれたものです。だから大切なのは、字面(じづら)や文字ではありません。「神様に感謝あるいは感動する感動の心」を読み取ることこそが大切です。その裏に潜む、「象徴的な意味」を「神的な精神」、つまり、「聖霊」を持って読むことが求められるのです。


字面(じづら)にとらわれていては、神様からの信号を受け取ることはできません。

日本人が、キリスト教会に なかなか来ないのは、一つには こうした反発や誤解があるからだと思います。

2014.7.6.


2014年07月05日

今日は、『38 “気を付けて、誘惑に陥らないように祈りなさい、心はその気なのだが、身体が弱っているのです。”(マーク(マルコ)による福音14章38節b、Good News Bible, Good News Translation MARK14.38bの翻訳)というジーザス(イエス)の愛に満ちた言葉を

取り上げます。これは、新共同訳聖書聖書では、『心は燃えても、肉体は弱い。(新共同訳聖書聖書マーク(マルコ)による福音書1438節b』と翻訳してある個所です。

ゲッセマネの園で、ジーザスが逮捕され十字架につけられることを予感して、ジーザスは必死に祈りました。しかし その間、弟子達は寝てしまったのです。寝たのがいけなかったのではありません。ですから、イエスはそれを叱りはしなかったけれど、その時ジーザス(イエス)が言った言葉がこの言葉でした。


一昨日、昨日と20147.3.と2014.7.4.の二日間、私は、東京のビックサイトに出かけて、国際電子出版の展示会に行ってきました。電子出版大手のヴォイジャー社のブースに足を運ぶのが目的でした。私のブログと聖書の翻訳、「イエスの福音誌」などなど 私が書いたものを将来、是非、電子出版の形にしたいと、10年ほど前から毎年、ここに足を運んでいたからです。そして今年は、記念すべき年でした。2014.7.1.にヴォイジャー社が、ワードで書いた文章をEPUB3に無料で変換できる、待ちに待ったソフト【ロマンサー】を公開したのです。それで、その説明を私は聞いてきたのです。


ここに出かける前は、私は比較的元気でしたが、この二日間で、すっかり疲れきっててしまいました。 それで今朝は、10時半まで起きられませんでした。起きて血圧を測ってみると146,85,54もあり、良く眠れなかったためか、疲労感も取れていません。食欲もあまりありません。


そこで思い出したのが、このジーザスの言葉でした。

ヴォイジャー社は、『埋もれている価値がある文章を、簡単に、しかも無料で世に出す手段としてのBinB(Books in Browsers)【一般のグーグルやヤフー、msnなどのブラウザーで、直接、電子書籍が読めるソフト】の開発に力を注ぎ、日本で初めてそれを開発した会社です。

私はこの会社の設計思想に 深く共鳴していて、10年も前から、これに興味をもっていました。


そこで早速、この【ロマンサー】を試してみようと願っています。しかし、私の仕事がただでさえも忙しいのに、さらにその仕事の中枢に迫る仕事が、ここで出てきたために、これからのその重荷を考えると、逆に疲れが出てきました。 やり始めるとたぶん大変な労力と時間が必要だと思われるからです。 でもいつかは しなければならない。その思いが私を緊張させ、今まで朝、上が120台だった血圧が、一気に146にまで上がってしまいました。 熟眠不足のためです。


ブログがシーサーブログに変わってから、読者が日ごとに激減する中、どうしたら良いかも、昨夜起きて考え祈り続けました。 どうやら結論は、「気取らずに、思ったままを少しでもできるだけ 毎日書いてゆくことだ。」と気付きました。


≪まとめ≫

ジーザスは、ほんとうに 私たちのことをよく知って考え続けてくださる方です。私たちは、『心はその気なのだが、身体が弱っているのです。』 、という言葉を思う時、

1.私たちに何よりも大切なのは、身体(からだ)の健康であり、

2.次に大切なのが、自分として神様の前に今、一番しなければならないことを神様に教えていただくことだ とつくづく思いました。

2014.7.5.

2014年07月02日

今日は、『“人の息子(ジーザス)が来て食べたり飲んだりしていると、‘ほらあの男(ジーザス)を見てごらん!あいつ(ジーザス)は大食漢で大酒飲みだ、そして税の取り立て人や社会からのけ者にされた者たちの友だちなのだ。’”(ルークによる福音7章34節、

Good News BibleJOHN7.34の翻訳)とある『大食漢で大酒飲みと非難されたジーザスを弁護します。ここには、本能の充足に対する欲求は、正当なものなのかどうかという、 ある種の根本的な問題があると思います。


本能には、いくつかあるとして、その代表的で根本的ななものは、食欲と性欲、それに睡眠欲と生存欲でしょう。  ここでは主に、食欲について考えてみましょう。


食欲と言えば、現在でも、 多くの律法的にやかましく言う人は、良く食べる人に とかく批判的です。良く食べる食欲が旺盛な人を「意地汚い」とか「馬のように食べる」とか、下等な動物みたいに思って非難するのです。


こういう判断や批評はほんとうに当たっているのでしょうか。大部分の場合、それは、当たっていず、不当な批判だと思います。


食べるといっても、その人の身体に悪い食べ方は、たぶん、行き過ぎた食べ方です。たばこ依存症や、アルコール依存症の例は、その代表的な例でしょう。

だから、身体に悪い食べ方は、不適当な食べ方だと思います。神様に祝福されない食べ方なのです。それは正当な食欲を満たすのが目的ではなく、自分の いわば食事依存症みたいな病気に動かされて、習慣的、機械的に食べているだけなのです。もちろん、それをジーザスの体だと思って感謝を持って食べているわけではありませんそういう食べ方は、神様の前にも不適当で、是正されなければならないと思います。


しかし、正常で、正当な食欲というものもあるのです。本当の本能に基づいた楽しい食事のとり方は、神様から祝福されるものであって、決して非難されるべきものではありません。


性欲についても、同様なことが言えるでしょう。 何でも、それを見たり、聞いたりして 『まわりの人が嫌がる、 性欲の満たし方』が、必ずしも決して、『悪い「性欲の満たし方」』なのでは 決してありません。むしろそれは、神様が喜んでいてくださるものだと思います。

ここにも、聖書で言う律法的な厳格主義的な、ファリサイ派の人たちがしたような誤った考えが、性欲の充足に素直な人を 激しく嫌い、非難するのです。


それなら、そうした適当な本能の満たし方について、何が判断基準になるのでしょうか?それは、最新の医学的研究成果に基づいた『専門医』の判断やアドバイスが 現代の正しい判断基準になるのだと思います。


≪まとめ≫

最新の医学的研究成果に基づいた『専門医』の判断やアドバイスは、聖書でしばしば語られている 『道徳的判断』とか『神様の御心に沿った行い』そのものではあるまいかと、私は今回気が付きました。  

これらの『本能の満たし方』の問題については、「本能の分野」で、しばしば間違っている、にせもの、の「日本の常識的、倫理的(?)な判断」の基準*からではなく、発展した科学や、学問や最新の医学の成果が、より的確な回答を与えてくれるでしょう。 


*註 たとえば、「高齢者や病人は、はやく自然に死ねばよいのだ。」というような「日本の常識的、倫理的(?)な判断」は、野生動物の生き方を学んだものであって、これこそが、現代の「日本の親不孝」を生んでいるのです。

2014.7.2.


2014年07月01日

以下は「各種ブラウザーで検索されたキーワードに対応する、正確なブログ(シーサーブログ)のURL表」です。今日は、2014.6.24.〜6.30.の分を追加記載しました。 2014.5.18.のブログの「ラヴログ」から「シーサーブログ」への移行に伴い、

ヤフーやグーグル、msn などにキーワードを入れて検索して出てくる私のブログの ほとんどが、ラヴログのdionのページかシーサーブログのトップページを表示しています。ですから、検索された方に大変ご迷惑をおかけしています。読者が「お気に入り」に入れてあるdionのlovelogのページも 同様にシーサーブログのトップページへと飛ぶ状況です。


そこでこの不便を考えて、引き続き、2014.6.24.から2014.6.30.までに検索された キーワードについて、そのページに正確に飛べるよう、以下にURLを記載します。以下の青色の文字のURLをクリックすれば、すぐにその内容のページに飛びます

なお、そのキーワードでヒットした順位(位/件中)も記載しました。


URL カテゴリーまたはタグ 検索されたキーワード   位/件    投稿日付   訪問日 

2014.6.24.6.30.

http://khyop91.seesaa.net/category/22742547-1.html

     軽蔑的憎しみ20/1,380,000   2008.6.17.   2014.6.24.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743863-1.html

   不思議なるかな御身の御業は   10/29,900   2013.11.25.  2014.6.24.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742941-1.html    悪霊に取りつかれた男

    旧約聖書  英文   20/107,000     2009.1.28.     2014.6.25.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743687-1.html  「神様への感謝と賛美の仕方」について

     キリスト教  安息日  過ごし方  8/114.000   2012.8.13.   2014.6.27.


http://khyop91.seesaa.net/tag/%82%D9%82%F1%82%C6%82%A4%82%CC%94%FC%82%B5%82%A2%8F%97%90%AB%82%C6%82%CD%81B   ほんとうの美しい女性とは。

     聖書  女性   104/1,090,000    2008.1.19.    2014.6.28.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743860-1.html    正しい「理想的な恋愛」とは。

    聖書 セックス 聖書の言葉の解釈  3/114.000   2013.11.20.  2014.6.29.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743860-1.html

    聖書の言葉の解釈 恋愛  1/224,000    2013.11.20.  2014.6.29.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743774-1.html   『悔い改めよ、?』。

      聖書の悔い改めの英語  10/669,000  2013.5.9.    2014.6.30.

  以上。


≪まとめ≫

以上、2014.6.24.2014.6.30.までの アクセスした人が正しく検索できなかったキーワードと その正しい検索先URL を記載しました。

青色の文字のURLをクリックすれば、すぐにその内容のページに飛びます

なお、そのキーワードでヒットした順位(位/件中)も記載しました。

2914.71.


2014年06月28日

今日は、“あなたたちは、いくらたくさん聞いても、理解はしないでしょう。あなたたちはいくらたくさん見ても、何が起こっているのかに気づかないでしょう。” 10 続けて言われました、“これらの人々の心の気力を失わせ、その耳を聞こえなくさせ、目を見えなくさせなさい、

それで彼らは、見ることも、聞くことも、理解することもできなくなります。(アイゼイヤ(イザヤ)6章9b〜10aGood News Bible, Good News Translation ISAIAH9b-10aの翻訳)という、極めて難解と思われる旧約聖書の預言について、同感するところがあったので述べます

ここは、アイザイヤ(イザヤ)61節からのGood News Bible, Good News Translation では、「神様はアイザイヤ(イザヤ)を預言者として指名される」と表題がついた箇所で、日本語の聖書では、「イザヤの召命」と題された有名な個所です。

ここは、アイザイヤ(イザヤ)が、若くて初めて、神様の言葉を伝える決意をした、つまり、神様のためのお仕事【神様の言葉を伝える仕事】をするように神様から言いつけられた経験を述べた個所です。ここの翻訳は長くなるので載せませんが、重要なポイントは三つあります。

1.アイザイヤ(イザヤ)が、神様から聞いた言葉を人々に伝えるために邪魔になったのは、アイザイヤ(イザヤ)自身の神様に対する「うしろめたさ」、今まで神様の前に犯した「咎(とが)」、「神様の前に対する、いろいろなスィン・罪の意識」でした。

アイザイヤ(イザヤ)は、それを取りさられる必要がありました。神様に取り去っていただく必要がありました。そしてそれを神様は取り去られたのです。そういう信仰的な自覚をアイザイヤ(イザヤ)は持ちました。【アイザイヤ(イザヤ書)667節】


2.そして、神様から、誰を神様の言葉を伝えるため遣わそうかという神様の声を聞き、「“私が行きます!私を遣わして下さい! ”(アイザイヤ(イザヤ)68節b)」と答える場面です。これは、アイザイヤ(イザヤ)自身の決意を【神様の前に答えとして表明した点で重要です。】 神様の言葉を伝える「決意」には、この12.が欠かせないものであることを物語っています。(8節)


3.きわめて難解と考えられる問題は、9節以下です。

まず、『主が、アイザイヤ(イザヤ)に行くようにと命じました。(9節の初め)』。アイザイヤ(イザヤ))は、若いし、もちろん預言者としての経験もないし、それで、心に、人々が神様の言葉を聞いてくれるだろうかという、小さな不安があったのでしょう。それを打ち消したのが、初めにに書いた「主の言葉」でした。これは、つまり平たく言えば、人々が神様の言葉を聞かなくても、気にすることはない。という主(神様)からの言葉だったのです

その言葉は、激越にも聞こえますが、これは事実だったのでしょう、そして、今の時代でも、それは事実なのです。


私のブログ【聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳】は、2007.8.6.から始めてから、この75日で7年目が終わります。始めは、時間もあったから、何か月間かは毎日書きました。アクセス数は、一日20人くらいでしたが、次第に増えてきて、KDDIlovelog(ラヴログ)が終了する頃までには、一日80140人の人が見ていました。

2014.5.18.にシーサーブログに移行したあと すぐに、KDDIの担当者に電話したところ、今までの読者は、すべていなくなると思ってくださいと言われました。このところ見ていると、その言葉通りになってきています。現在、読者数(一日にこのブログを見る機械の数)は、一日20人程度に落ち込んでいます。たぶん、そのうち、読者数は一日45人にまで減少するでしょう。

その原因には、

A. インターネット上に張られていた 私のブログのURLのすべてが、シーサーブログのトップページにだけ飛ぶようになったこと。

B. ここ2年くらい前からの私の体調不良で、ブログ投稿が、激減したこと。

の二つが考えられると思っていました。しかし、このアイザイヤ(イザヤ)6章の言葉を思い起こして、私の考えが間違っていたことに気づきました

もし、読者が、ほんとうに私のブログのほんの一部にでも、神様からの声を感じて感銘しているのであれば、これらの二つの障害は、簡単に乗り越えられるハズだと思えたからです


アイザイヤ(イザヤ)の預言に戻りますが、

10 続けて言われました、“これらの人々の心の気力を失わせ、その耳を聞こえなくさせ、目を見えなくさせなさい、それで彼らは、見ることも、聞くことも、理解することもできなくなります。(アイゼイヤ(イザヤ)610aGood News Bible, Good News Translation ISAIAH10aの翻訳)

この預言は、神様からの言葉なのですが、ジーザスもこの箇所を引用されました。

預言者は、『人々の心の気力を失わせ、その耳を聞こえなくさせ、目を見えなくさせることが、一つの目的なのです。』 神様の言葉は、創造的ですから、まったく意外で、まったく常識に反しているし、まったく新しい、そのために、反発を買い、その真の意味に気づかない。

それが神様からの言葉が持つ特徴です


≪まとめ≫

私の【聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳】も、従来のキリスト教の再生を目指し、その欠陥を修正することを目的としていますから、たぶん、すべての読者に分からないと思います。少なくとも、従来のキリスト教の簡潔な説明を求めようとする読者には まったく向いていません。  言葉は出来る限り平易で分かり易く書いているつもりですが、そういう問題ではないのです。書いてある内容の多くの部分が、あまりにも、非常識と考えられるから、いくらたくさん聞いても、理解はしないでしょう。あなたたちはいくらたくさん見ても、何が起こっているのかに気づかないのです。』  残念だけれど、致し方ありません

2014.6.28.


2014年06月27日

昨日は、日本福音ルーテル東京教会Erik Rothさんのバイブルクラスで行われたジョン(ヨハネ)による福音の解説の最終回になったので、いつものようにErik Rothさんが希望者を「バー」に連れて行き、夜のひと時を過ごしました。私は、最終回のバーの「飲み会」には

毎回出ているので今回も参加しました。いつもは 遠くの「欧米人用のバー」でしたが、歩くのが大変なので日本福音ルーテル東京教会の近くの『酒造 駒忠』に行きました。参加者はErik Rothさんを含めて、全員9人でした。


店は何しろ混んでいて、人の話し声が響いて、隣の人の話し声もやっと聞こえるような状態でした。そこで、8時半過ぎから10時過ぎまで居ました。

そこで私が一人のクラスメートと話し合ったことと、私のこのブログの状態についての私の考えも湧いてきたので書きたいと思います。しかし、のちほど書くことにします。


私が今晩、7時前から、バーが散会するまでに感じたことの一つは、「キリスト教徒と称する人たち」、と言っても、実にいろいろな人、いろいろな考え方の「宗派」「人々」があって、実に千差万別で、様々だということです。その様々(さまざま)の程度は、月とスッポン、天と地ほどの差がある場合もあるのです。


ある人が話してくれたのは、ルーテル教会の始祖、マルティン・ルッターに対する評価は、カトリック教会に行くと最低だそうです。その名前を口にすることも ほとんどないそうです。何故かを聞いてみると、ルッターは、結婚が禁じられているため、結婚しないと誓いまで立てた「修道士」ルッターが、こともあろうに、その仲間の「修道女」と恋に陥り、結婚したのだから、ルッターは、不道徳な大罪悪人だという事らしいです。

これは結婚問題に対する信仰的な判断の違いからくるのでしょうが、ことほど左様に「信仰による一方的な判断」は怖いものです。

私は、ルッターの結婚を 歴史的に見ますと、「神様からの祝福、恵み」と見ますが、どうもこの見方についても、意見が180度分かれる宗派もあるようなのです。それほど違った考え方、信仰を持っている人たちがこの世の中にいるのですから、どの考え方、どの信仰、どの宗派の考え方が正しいのかが、まったく分からなくなります。


ここで、このバイブルクラスで、Erik Rothさんから聞いた意見を思い出しました。『同じ聖書のなかにも、矛盾する、あるいは正反対の書き方がしてある個所がいくつもある』のだから、同じキリスト教徒と言っても、聖書に対する解釈や意見が違うことは当然ありうるという話です。


「ジーザス・クライストは、救い主だ。」という表現では、一致していても、その思い、行いは、全然違う。そして皆、『自分たちこそ本当のクリスチャンだ。』と思っている。そしてそのような状態が、何千年も続く・・・・・・。 

こんな状態がまかり通るのは、これが宗教であるからであって、科学や学問の世界では、時が経てば、真理がどれかが おのずと分かってくるものです


≪まとめ≫

キリスト教では、科学と違って、考え方の違いが許容されるのでしょうが、これは大問題だと思います。考え方の違いにただ反発するのではいけません。悪口を言いあっても解決はしません。しかし、その違いにあきらめてはいけません。科学や学問の世界では、そんなことはあってはならないし、また、無かったと思います。たとえ何千年かかっても真理、それが宗教上の真理であっても、ほんとうの事は、いつかは次第に、一つに分かってこなければいけないと思います。

いや、ほんとうのことは、宗教の世界でも、だんだん分かってくるのだと思います。そしてたぶんそれは、宗教以外の科学・学問の世界からの研究で、次第に明らかになってゆくのです。 そこに、科学・学問の世界の「一つの役割」が、与えられているのだと思います。


奴隷廃止の問題もそうでした。男女平等の問題もそうでした。性差別の問題もそうでした。 一般論として、「結婚」が健康にもよいとの結論も、そのうち医学的な研究から出てくるでしょう。そこに科学の 一つの重要な役割があるのだと思います

2014,6.27.

2014年06月25日

以下は「各種ブラウザーで検索されたキーワードに対応する、このブログ(シーサーブログ)のURL表」です。今日は、2014.6.14.〜6.23.の分を追加記載しました。このブログの「シーサーブログ」移行に伴い、

ヤフーやグーグル、msnなどにキーワードを入れて検索して出てくる私のブログの ほぼすべてが、ラヴログのdionのページを表示しているので、それをクリックするとシーサーブログのトップページに飛びます。ですから、検索された方に大変ご迷惑をおかけしています。読者が「お気に入り」に入れてあるラブログのページも 同様にシーサーブログのトップページに飛ぶ状況です。


そこでこの不便を考えて、引き続き、2014.6.14.から2014.6.23.までに検索されたキーワードについて、そのページに正確に飛べるよう、以下にURLを記載します。以下の青色の文字のURLをクリックなされば、すぐにその内容のページに飛びます

なお、そのキーワードでヒットした順位(位/件中)も記載しました。


URL  検索されたキーワード   位/件    投稿日付   訪問日 

2014.6.14.6.23.

http://khyop91.seesaa.net/article/397319980.html

   雅歌が聖書に取り入れられた理由4/1100  2012.9.19  2014.6.15


http://khyop91.seesaa.net/article/397319837.html

          聖書の光は焼き尽くす火5/271,000    2010.6.22.    2014.6.15.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743248-1.html

        中川聡  東京大学   7/143,000     2010.6.5.    2014.6.16.


http://khyop91.seesaa.net/article/397320056.html

      聖書の言葉 感謝   30/13,900,000     2014.1.8.    2014.6.17.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742804-1.html

      愛の原動力  聖書箇所   2/28,300     2008.6.27.    2014.6.18.


http://khyop91.seesaa.net/category/22882797-1.html

      嗣業  聖書 msn    6/37,800       2010.3.21.    2014.6.18.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319973.html

     聖書  守り  感謝    11/41,300       2012.8.13.    2014.6.18.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319814.html

     時間の大切さ  聖書箇所  15/1,920,000   2010.2.19.    2014.6.18.


http://khyop91.seesaa.net/category/22882797-1.html

    聖書  嗣業とは  2/323,000  msn        2010.3.21.      2014.6.19.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742760-1.html

     ヴァイオリン伴奏  ピアノ蓋全開  50/19.500  2008.7.1.  2014.6.21.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742363-1.html

    平和のために働く人  英語  6/8,360,000   2007.11.15.  2014.6.20.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743890-1.html

     聖書の言葉  英語   7/28,300,000         2014.1.8.       2014.6.22.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742462-1.html

    英文聖書  アダムとイブ   8/148,000        2007.8.27.     2014.6.23.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319899.html

http://khyop91.seesaa.net/category/22743571-1.html

      聖書  みだら    1〜2/6070       2011.5.10.2011.9.30.    2014.6.23.


≪まとめ≫

以上、2014.6.14.2014.6.23.までの アクセス者が正しく検索できなかったキーワードと その正しい検索先URL を記載しました。

2914.6.25.


2014年06月18日

聖書の言葉に “あなたを裕福にするものは、主の祝福です。勤勉な努力はあなたのお金を豊かにはしません”(聖書の格言(箴言)10章22節、Good News Bible PROVERBS 10.22の翻訳)という言葉があります。この言葉は、実は2009.1.9.のブログで扱った言葉ですが、

ここで改めて、別の角度から味わってみます。問題は、“努力”によって人は経済的にも豊かになるのか、“主からの祝福”によって人は、経済的にも豊かになるのかという『大問題』です。

経済的に豊かになるのが、ただお金を貯めて豊かになり、はたから見て、お金をふんだんに使っているからうらやましいなと思われることが、『豊かになること』の定義なら、もしかしたら人は、がむしゃらに、良心に咎めるようなことをしてでも、働けばよいと思います。

あるいは、極端にケチで節約してもお金は貯まります。


しかし、聖書で言う、『豊かさ』、『経済的な豊かさ』とは、そういうような、〜まあ言って見れば、悪魔的な豊かさのことではないでしょう


聖書でおしえる豊かさとは、ほんとうに経済的な豊かさが、さらに その人の充実した人生を生み、まわりの弱い人たちを豊かにする、つまり、「神様のために働くことにつながるような豊かさのこと」ではないでしょうか?

 聖書では 「豊かさ」にも、そういう豊かさ、つまり、『人も自分も助け、周りの人を愛することにつながる豊かさ』というものを 認識しているのだと思います。


日本では特にその傾向が強いのですが、ふつう、『人間的な努力を伴った勤勉(hard work)』が 人をお金持ちにすると考えられています。


人間的な努力を伴って仕事をしていれば、激しい仕事が 自然に出てくることは確かです。しかし、それが私たちを豊かにはしないということは、そこに、本来お金が持つ『人を愛し、神様を愛することのために、お金は使うべきだ。』という 『人が持つべき基本的な 正しい人生観』が、多くの場合、欠如しているからに違いありません。

そこで、ここの聖書の箴言の言葉があるのです。


『神様を愛し、自分をも含めて、人を愛する』事という基本に立ち返った時、人はほんとうに価値がある仕事をしてゆけるのだと思います。この動機が大切なのです。

「神様なために働く、神様が求めておられることに思いを集中して働く」 ということが、私たちを、働き過ぎから守り、楽しい労働を生むのだと思います。


神様から祝福されることを求めて仕事をする、働くということの重要性は、こんなところにあるのだと思います。つまり、これが、私たち個人の人生が、ほんとうの意味で楽しい人生になるか、どうかの 大きな分かれ道だと思うのです。


このような新しい価値がある仕事を見つけて進めて行くためには、」このような聖書の言葉をよく噛みしめることがが どうしても必要です。それは、今、自分が一番大切な しなくてはいけない事を、いつも仕事中に、神様に教えて頂く事を意味します。それを見つけるには、神様に、それを教えられる必要があり、それをして行く為には、人の健康な体調も必要です。

体調の良さも神様からの恵みによって与えられる贈り物です。それは、睡眠、食欲を始め自分の本能的な欲求を 第一に大切なこととして受け入れる事であり、それによって人の健康は作られるのだと思います。

『本能』は神様が人に与えられる基本的な力ですから、眠いときには寝る、やりたくないに時にはやらない、これも、神様に従って得られる 神様からの恵み、神様からの「信号」なのです。


≪まとめ≫

正しい労働とは、『人を恐れず、ただ神様のためだけに働く。』 それに尽きるのだと思います。そう考えると、人が経済的に豊かになリ、お金持ちになるのは、勤勉な努力によるのではなくて、神様の命令に従う、つまり、神様からのこれらの信号を聞き、それに従うこと、そして自分が立てた計画や、自分のわがままや、自分の人間的な努力の積み重ねによるのではなくて、主からの祝福を得たいという思いから始まるのだと思われます。

ですから、聖書の格言(箴言)1022節は実は大変な事を言っている聖書の言葉なのです。

2014.6.18.


2014年06月15日

『だから、信仰(しんこう)(神様(かみさま)への信頼(しんらい))に基づかない(もとづかない)ことは、なんでもスィン(すぃん)・罪(つみ)なのです。』という聖書(せいしょ)の言葉(ことば)の意味(いみ)を話します(はなします)。一昨昨日(さきおととい)(2014.6.12.)は、新宿に2度も車で往復したため、疲れてきってしまいました。日本福音ルーテル東京教会Erik Rothさんのバイブルクラスが

夜の20時過ぎに終わったので、普通道路で自宅に帰るつもりでした。しかし、あまりにも疲労が激しかったので、運転中に考え祈った末、高速で家に帰ることに変えました

「考え祈った」ことで、上の聖書の言葉が心に浮かんだからです。


23b だから、信仰(神様への信頼)に基づかないことは、なんでもスィン・罪なのです。(ロウムの人たちへのポール(パウロ)の手紙(ロマ書)1423b、Good News Bible, Good News Translation ROMANS14.23bの翻訳)』)と それには あります。

新改訳(しんかいやく)聖書(せいしょ)は、ここは、「信仰(しんこう)から出て(でて)いないことは、みな(つみ)です。(新改訳聖書ロマ書1423b)」となっています。ですから、問題(もんだい) あまりありません。

しかし、新共同訳聖書では、()確信(かくしん)基づいて(もとづいて)いないことは、すべて(つみ)なのです。(新共同訳聖書聖書,ロマ書1423b)』と、信仰(しんこう)(神様(かみさま)への信頼(しんらい))」の部分(ぶぶん)が「確信(かくしん)」になっています。だから 私には不満(ふまん)翻訳(ほんやく)です。


英文の聖書を調べると、NKJVNIVNRSVも、ここは「faith(信仰(神様への信頼))」になっています。


(ひと)は、『信仰(しんこう)基づいた(もとづいた)確信(かくしん) にもとづいて行動(こうどう)しなければ、決して(けっして)神様(かみさま)には祝福(しゅくふく)されません。そして(こころ)(そこ)に、「うしろめたさ」が残る(のこる)です。 それは、聖霊(せいれい)教える(おしえる)ところに従って(したがって)行動(こうどう)するということと同じ(おなじ)です。


【私の慢性的な疲労の原因について】

まだ皆さんにはお話していませんが、今年の1月から妻、輝子の具合が非常に悪くなりました。、ほぼ寝たきりとなっています。病気が重症化したきっかけは、私どもが、家庭裁判所(家裁)に申し出ていた「私どもの二人の子供に 両親を扶養するようにと申請した【扶養申請】の調停の場で、2014131日(金)に、私どもの長男と長女が二人とも そろって、私たち(わたしたち)両親(りょうしん)を 少し(すこし)でも扶養(ふよう)する()は まったくありません!』と岡田裁判官の前で宣言したのがきっかけです。

子供たちに両親を扶養する気がないなら、調停は不成立で、両親(りょうしん)()が「生活(せいかつ)保護(ほご)」を受ける(うける)ほど低所得(ていしょとく)になれば(べつ)だが、「扶養(ふよう)命令(めいれい)はできない」と、その()で「扶養(ふよう)申請(しんせい)」を取り下げ(とりさげ)させられました。


それに妻はショックを受けて、右の耳が聞こえなくなり、目はかすみ、食欲が全くなくなりました。身体じゅうの筋力も弱まり、生きてゆく力そのものがなくなりました。それで、「重度のうつ」と診断(東京大学医学部付属病院(東大病院)精神科)されました。ひとりでは、歩くことも、立ち上がることも ほとんどできません。

そこで、介護度が2から4に上がりました。介護保険の制度をフルに利用しても まだ足りず、子供たちは都内に住んでいながら、見舞いにも、助けにも全然来ないので、私が毎日介護しなければならなくなっています。私には、その仕事、買い物、食事作りが連日あるので、昨年暮れからの私の疲労が慢性化しているのです。


【信仰(神様への信頼)による確信で行動する必要性について】

さて、結局 私たち人間は、自分がしたことについて、また自分が考えたことについて、『正しかった、良かったのだ。信仰的な言い方をすれば、神様に喜ばれ、神様に是認されているのだ。』という確信が必要です。  私たちクリスチャンは 特にそうです。

だから私たちはいつも、失敗を反省していて、そのため、いつも祈って行動する習慣があります。

そして神様にあって、神様が、どうしろと言われているかを信じてから、行動します。

私たちクリスチャンはいつも、そうするように心がけています。それが、ほんとうの信仰(神様への信頼)のありかただと思います。


どこかの人が書いた本に書いてあるから、とか、多くの人がそうしているからとか、社会で そう決められているから というようなことでは、私たちは、自分の行動を決定しません


≪まとめ≫

私たちは、聖書を毎日のように的確に読み、あるいは聖書の言葉を思い起こし、よく祈り考え、ジーザス(イエス)なら 今、どうされるかを考え、神様のお考え、神様のご計画を知って、神様の前で 「今、自分はこうするべきだ。」との信仰(神様への信頼)を持って決断します。

私たちは、すべてのことを そのような信仰(神様への信頼)にもとづいて 行おうではありませんか

2014.6.15.

2014年06月14日

このブログの「シーサーブログ」移行に伴い、ヤフーやグーグルなどにキーワードを入れて検索して出てくる私のブログのほぼすべてが、トップページだけを表示します。そこで、それを補うために「検索されたキーワードに対応するシーサーブログのURL表」 をつけます。

読者が「お気に入り」に入れてあるラブログのページも すべて、シーサーブログのトップページに飛ぶ状況です。

この不便を考えて、引き続き、2014.6,1,から2014.6.13.までに検索されたキーワードをもとに、私のシーサーブログのページに正確に飛べるよう、そのURL表を以下に記載します。


URL  検索したキーワード   書き出し        投稿日付   訪問日 

2014.6.1.6.13.

http://khyop91.seesaa.net/category/22743618-1.html

    「嗣業??」の移動について。   『この「聖書の言葉・英文の聖書翻訳」の「カテゴリー」の一つである「嗣業??」の場所が、この記事をカラー化した際に341919-1.htmlから移動しました。「嗣業??」の新しいURLは、現在、http://khyop91.seesaa.net/category/22824841-1.htmlです。』    2012.4.3.   2014.6.1.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319962.html

       聖書 同性愛 英文  『一昨日、アメリカのオバマ大統領がABSテレビのインタビューで、アメリカの「同性婚」【同性愛者同士つまりレズビアン同士やゲイ同士の結婚】を支持すると発言しました。このニューズは非常に重要だと思います。伝えられるところによると、オバマ大統領は、』      2012.5.11.      2014.6.3.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743860-1.html

   理想的な恋愛    『以下は、2013.10.29.午前420分から書き始めた三つの一連の「ブログ」の締めくくりです。

愛を伴わない性的欲望(性欲)というものがあります。それの激しすぎるものを英語で「lust」と呼ぶのでしょう。「愛のない性的欲望」を満たそうと実行するのが、』    2013.11.20.   


http://khyop91.seesaa.net/category/22743454-1.html

     聖書  貯金   『お金を稼ぐことをジーザスはどう考えていたか、現代、ジーザスならどう話すかを知りたいと 2008.627.の礼拝後のお茶の席で松田繁雄牧師に尋ねました。松田牧師は『マルチン・ルッターは、聖職、callingつまり‘神様から言われてする仕事’は、牧師に限らず鍛冶屋さん』    2008.7.2.      2014.6.4.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743727-1.html

      聖書の言葉  英語  『新年にあたって思ったことは、『8 “私の思いは、あなたたちの思いとは異なっていて、私のやり方は、あなたたちのやり方とは違っています”と主は言われます“9 天が地の上に高くあるように、私のやり方と思いはあなたたちのより高く上にあるのです。”(アイゼイヤ(イザヤ書)』  2013.1.8.     2013.6.6.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319666.html

     悪魔による聖書の引用   『“43 健康な木は悪い実を結びません、同じように不健康な木は良い実を結びません。 44 すべての木は、それが結ぶ実で分かります;茨からイチジクを取ることはできないし、茨の茂みからブドウを取ることも出来ません。 45 よい人はその心の中にある宝の中から』    2008.12.23.   2014.6.6.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743164-1.html

   世捨て人 聖書  『今日はマーク(マルコ)による福音834節、マスュー(マタイ)による福音1624節とルーク(ルカ)による福音923節に日本語聖書に翻訳されている【自分を捨てる】という言葉の深刻な不適当さを指摘します。そこはGood News Bible,』    2008.12.23.    2014.6.8.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319961.html

    ジーザスの言葉     『Good News Bibleのロウマンズ8章に「クライスト・ジーザスの中にある神様の愛」と表題がついた31から39節の一部分のうちに有名な、とても良い言葉があります。『33 いったい誰が、神様が選ばれた人たちを悪いと言うのでしょうか? 神様ご自身が、彼らに後ろめたく思うことはない、』     2012.5.8.    2014.6.9.   


http://khyop91.seesaa.net/category/22743802-1.html

聖書 祈り 英文     カール・ヒルティの名著に、『眠れぬ夜のために』(岩波文庫)というのがあります。ここでヒルティが言いたかったのは、眠れない夜は、聖書の言葉を思い、神様に祈れと言うことだったのだと思いました。「良く眠れない経験」は、2013.7.13.の例のほかにも私には   2013.7.20.     2014.6.10.


http://khyop91.seesaa.net/category/22743275-1.html

聖書  LUKE6.27.  または 人を裁くな?    『新共同訳聖書のイエスの言葉に『人を裁くな。』という有名な「翻訳」があります。「これこそイエスの教えの基本だ。」と思い込んでいる人も多いでしょう。これはGood News Bibleのルークによる福音637節で『他の人たちを判断する事』と題した個所にあります。』  2010.6.25     2014.6.10.


http://khyop91.seesaa.net/category/22742389-1.html

     橋詰清江先生   または 私のブログのこれからの方針。  『昨日、信頼する主治医のお1人(東大病院の内科医)から、ブログについて貴重なご意見を頂きました。私の健康も配慮してと思いますが、ブログは社会的活動ではないから、毎日のように書くものではないと言われました。『社会的活動』の意味をお尋ねしたら』  2007.12.4.   2014.6.10.    


http://khyop91.seesaa.net/article/397319966.html

    聖書と贖い  『昨日、どうしても行きたくて、2週連続で日本福音ルーテル小岩教会の礼拝に出席してきました。目的は、この日の説教題、『罪びとを招くため』が、私の悩みと、どうも深い関係がありそうだと思ったからです。悩みというのは、実は、この1週間、私は「罪の贖い」』 2012.6.11.  2014.6.10.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319970.html

     聖書 箴言 格言 意見    今日は、「愚かしい人」とは、どういう人のことか?「賢い人」とは、どういう人のことか?という話をします。日本人に、あまりにも「愚かしい人」が多く、そのために、日本人が大多数の意見に弱く、猿まねばかりしていて、一向に良くならないのだと私は考えているからです。   2012.7.30.   2014.6.13.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319846.html

   新約聖書 ギリシャ語        ギリシャ語で聖書を読むのが一番良いと思っている日本人が圧倒的に多いようです。新約聖書はギリシャ語で書かれているので単純に、それなら、その原典で聖書を読むのが一番正確で分かり易いはずだとか、正しく解釈出来るだろうと考えるのは、愚かで単純すぎます。     2010.7.1.  2014.6.12.


http://khyop91.seesaa.net/category/22882797-1.html

       聖書の言葉 嗣業 または「嗣業」(しぎょう)??。   今日は、聖書の『知恵』とは何かを話します。聖書の格言には『知識knowledgeと知恵wisdom』という言葉がたくさん出てきます。その代表例が「知恵を讃えて」とGNTで副題が付いている8章です。ここでは『知恵』を擬人化し主人公にして、『知恵』を「私」と      2010.3.21.    2014.6.12.



http://khyop91.seesaa.net/article/397319854.html

    練馬総合病院 井上聡                  妻は左足の下の潰瘍の治療の為、一昨日2010.9.10.午前に東京の練馬総合病院創傷ケアセンター(外科)に23カ月の予定で入院しました。東大病院では、治るのに年単位の年月がかかると言われていたし、1月に発症以来、10円玉ほどの大きさの傷は、     2010.9.12.      2014.6.13.


http://khyop91.seesaa.net/article/397320051.html

http://khyop91.seesaa.net/article/397320046.html

       聖書 サーム     今朝聖書を開いたら、サーム(詩篇)10812から13節が開きました。感銘を受けたのでそれを書きます。サーム(詩篇)108篇は、Good News Bibleでは、『敵に対する助けを求める祈り』との表題が付いていて、私たちの「敵」に対処する仕方が書いてある詩です。      201.12.17.     2014.6.13.

         昨日は11時半にベッドに入ってすぐに寝つけましたが、どうしても継続して眠れず、120分に目を覚ましてしまいました。そこで聖書を開いたらサーム(詩篇)96篇の1から3節が目に留まりました。眠れそうにないので、これのGNTの訳を翻訳してから寝ようと       2013.11.25.   2014.6.13.


http://khyop91.seesaa.net/article/397319877.html

    ジョンロールズ  聖書     『皆さん、新年明けましておめでとうございます。睡眠と栄養のおかげで私のヘルペスは、直ぐに治りました。ところが、私は今、自分のしている事に価値を見いだせなくなっています。ブログを書いたり、「イエスの福音」誌を作成発行したり、Good News Bibleを翻訳』    2011.1.4.    2014.6.13.


≪まとめ≫

以上、2014.6.1.2014.6.13.までの 正しく検索できないキーワドとその正確な検索先のURL を記載しました。

2914.6.14.



2014年06月13日

今日は、クリスチャンが、なぜ戦争をするのかという重大な問題について話します。昨日Erik Rothさんと話をしていたところ、彼は、人々は聖書の中にも、キリスト教徒の中にも、戦争をしてたくさんの人を殺す場面などがあり、それを知っているから人々はキリスト教は ダメだ

と思い、キリスト教に近寄らないのだと言うような話をされました。

このお話には、「なるほど」と思う一方、人々がキリスト教を嫌う原因は、それだけではないと私は思いました。


しかし、この戦争を好むキリスト教が、なぜ今も、堂々と存在するのか不思議に思い、その原因を考えました。


【聖書の中の戦争の記事】

聖書の中でも旧約聖書に神様を信じる人たちが戦争をたくさん仕掛けた記事が、いっぱい載っています。大量殺戮もたくさんしました。神様の名においてそれをしたのです!

デイビッド(ダビデ)王さえも、それをしたと書かれています。


【旧約聖書での戦争の考え方。】

旧約聖書で、神様を信じる人たちが、戦争を仕掛ける記事は、彼らが、『神様の正義に反した』と考えた人たちを、神様に代わって、その悪を懲らしめる義務があると思って戦争をしかけたのです。

こういう考え方は、神様への信頼、つまり信仰が強ければ強いほど、起こり易くありました。


【新約聖書の考え方】

ところが、新約聖書では、ジーザス・クライストが、その新しい人生観、新しい神観を伝えました。「敵を愛しなさい。」というのがジーザスの教えでした。

そのため、とうぜん、新約聖書の中では、戦争はなくなりました。戦争はしないけれど、つまり、『敵を愛しなさい。』とジーザスが教えたことでわかるように、クリスチャンは、無抵抗になったのです。しかし、


1.神様の見方からする 正しい「人の歩み方」につきまして、とても厳格にジーザスは主張し、守りました。

その良い例が、ジーザスが、当時のユダヤ教の教会(寺院、テンプル)が、お金儲けのために使われていたことへの義憤を爆発した 鳩を売るものの台をひっくり返した』という有名な『宮清め』の事実などがあります。

つまりジーザスは、悪を非常に憎みました。戦争をしたり人を肉体的に傷つけたりはしませんでしたが、憤慨をした箇所はいくらでもあります


2.ジーザス(イエス)が、敵(悪魔的な考え方)を言葉では激しく非難しましたが、敵に対してとった行動は、非暴力的でした。それは『報復は、私(神様)がすることです。という考え方から出たものでした。 神様に何時かは 罰せられるから、敵は れむべき存在なのです。



この2点を 知らない人たちは、今までのキリスト教徒と名乗る人たちが、十字軍を始めとして、最近ではベトナム戦争、イラク戦争など武器を手にした戦いを 『聖戦』と称して、やってきた事実だけに着目するのです。  実は、このキリスト教徒と名乗った人たちは、実は、悪魔が遣わした人たちだったのでしょう。


人々は、この『敵を愛する ジーザスの教え』を知らず、つまり、新約聖書そのものを チャンと読んでいないから、こういう事が起こるのです


≪まとめ≫

私たちは、人々にほんとうのキリスト教とは、『このような平和な良い知らせ』であることを、何とかして、知らせてゆかねばなりません。そこに私たちの務めがある、私たちの重要な役目があるというのがErik Rothさんの この日のお話でした。

「敵」に対する態度について、正しい考え方を伝えることが、『私たちジーザスクライストを信じる者たち』の一つの大きな使命だと 私も思いました。
2014.6.13.

2014年06月11日

このブログの2014.5.18.からの「シーサーブログ」移行に伴い、読者(訪問者)の方々に大変ご不便をおかけしている点に気づきました。その例が、ヤフーやグーグルなどにキーワードを入れて検索して出てくる私のブログのほぼすべてが、トップページだけを表示する点です。

そのため、読者が「お気に入り」に入れてあるラブログのページもすべて、シーサーブログのトップページ(現在は2014.6.7.)しか表示しません。
このご不便を考えて、今回、2014.5.31.までに検索されたキーワードをもとに、そのキーワードで、私のシーサーブログのページに正確に飛べるよう、そのURLを以下に、まとめます。
ただし今回は、2014,5,31,までに私のブログにアクセスされた「キーワード」についてだけです。
URL 妬む神様  今日の東京は梅雨の晴れ間の一日で、今日もハイアットのカフェに昼食に行きました。新宿公園の森の葉の緑が美しく輝いて見えました。でも、この緑の葉は縦横に走る太い枝と幹によって支えられています。そして葉も、枝と幹に栄養を伝えています。     2010.6.30. 2014.5,19.  

http://khyop91.seesaa.net/article/397319415.html
                     仙川で将棋    日本の聖書翻訳について述べましょう。Good News Bible は良くない意訳の代表例として日本の聖書翻訳委員会で外された経緯があるようです。私は これは、日本にとって大変に不幸な事だったと思っています。今日は、図書館に出かけた後、仙川で将棋を習って来ました。     2007.8.20.   2014.5.19. 

http://khyop91.seesaa.net/article/397319627.html
                     男性から見た女性の美しさ    私 男性から見た女性の美しさについて考えましょう。聖書にあるように、物事にも人にも『全体』と『部分』があります。部分が美しい女性は 一杯見かけます。手だけが美しい女性、首から肩と二の腕にかけて美しい女性、うなじが美しい女性、後姿が美しい女性、肌が      2008.7.20.

http://khyop91.seesaa.net/article/397319818.html   または
http://khyop91.seesaa.net/category/22824841-1.html
                     嗣業 または、聖霊が人に宿るわけ     今日は、『聖霊(The Holy Spirit)が人に宿るという事実』は、どういうものかの話をします。2013.5.19.(日)10時半から、日本福音ルーテル東京教会でペンテコステ(聖霊降誕節)を祝う英語礼拝との合同礼拝がありました。礼拝終了直後には、イタリアの慣習に      2013.5.24.     2014.5.30.

http://khyop91.seesaa.net/article/397319586.html  または
         聖書  同性愛 英文    臨時のブログ9― 2008,5,4.(日)に日本聖公会神田キリスト教会であった井口悟祭司のお話を書きます。非常に重大な内容なので 慎重に書きます。『20年位前ゴトー-イチローという頭脳明晰な神学生がおられ、とても分かりやすい説教をされました。  2008.5.11.   2014.5.31.

http://khyop91.seesaa.net/article/397320041.html
     救い  ソウゾウ    これは聖書のどこに書いてあるというのではありませんが、Erik Rothさんのバイブルクラスで、『マーク(マルコ)による福音の中の奇蹟』の話のときに話されたことが元で、私が新しく気づいたことを書きます。Erik Rothさんの話は、現代のキリスト教会に最も欠けていることは何か     2013.10.26.     2014.5.31.

http://khyop91.seesaa.net/article/397319579.html
     松田繁雄」     臨時のブログ6― 2008.4.13.(日)のルーテル小岩教会のお話は、松田繁雄さんの優れた信仰と信念の重要な一面を浮き彫りしました。これは現在、世界のキリスト教界が最も必要としている大切な考え方を含んでいます。それは、そのまま私の信仰・信念でもあります。日曜日の    2008.5.11.      2014.5.31.

http://khyop91.seesaa.net/article/397320040.html
     日本福音ルーテル東京教会Erik Rothバイブルクラス    私が出ている木曜日の午後7時からの「日本福音ルーテル東京教会Eric Rothさん(アメリカからの宣教師)のバイブルクラス」では、2013.9.26.に『マーク(マルコ)による福音の中の奇蹟』が終わりました。そして、2013.10.3.からアイゼイヤ(イザヤ書)が始まりました。   2013.10.24.   2014.5.31.

≪まとめ≫
以上、私のブログを読むのにお役にたてれば幸いです。
なお、神様が許せば、2014年6月以降も、追加分を順次まとめてお伝えします。
(2014.6.11.)


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2014年06月07日

良く知られているように欧米には、「感謝祭」というものがあります。またサーム(詩篇)には、神様に対する感謝の言葉がいっぱい、いっぱい書かれています。「創造主をたたえて」と題されたサーム(詩篇)104篇の表題は、英語では、「In Praise of the Creator」ですが、

この「praise」は、OXFORD英・英辞典では、名詞では「誰かまたは何かに対する容認またはあこがれを表わす言葉」と書かれています。しかし第2の意味として、「神様を崇拝する表現」となっています。そこで日本語では、これを「賛美」とか、「神様をたたえる言葉」と訳すわけですが、OXFORD英・英辞典には、動詞の「praise」は、「神様に感謝(thank)または神様を尊敬(respect)する。」という意味であると書かれています。

日本語の英和辞典で、「praise」をひくと、「褒めるとか讃えるとか、称賛するとか、賛美する【ジーニアス英和辞典】」とかと訳されています。しかし、「praise」は、実は、神様に感謝するという意味なのです。


ジーザス(イエス)がした たとえ話に、ひどい皮膚病にわずらわされていた10人の人が神様に癒され(いやされ)た後、『15 彼らの一人が、自分が癒(いや」されたことを知って、大声で神様に感謝しながら(praising God)戻ってきました。(ルーク(ルカ)による福音17章15節、Good News Bible, Good News Translation LUKE17.15.の翻訳))』 とある有名な記事があります。
ここは、とかく「神様を賛美しながら」、とか「神様を褒め称えながら」と翻訳されますが、私の翻訳のように「大声で神様に感謝しながら」のほうが、良く分かると思います。

日本人は、非常にしばしば、「感謝する」という言葉を使います。 「人様(ひとさま)に感謝しなさい。」などとも しばしば言われます。しかし、「神様に感謝する」という言葉は、ほとんど聞きません!。

それは、日本人が、神様に感謝するということが無いからです。逆に人様(ひとさま)が神様なのです。あるいは、便利な新製品が出れば、その新製品に感謝します。その新製品を作った人や会社に感謝します。
これは日本人が、「日本人は、汎神論者(はんしんろんじゃ)?だからだ」などというのは、皮相的な見方だと思います。  汎神論者(はんしんろんじゃ)だからなのではなく、「日本人は、神様の恵みに気が付かないだけなのです!

≪まとめ≫
私たちは、神様を拝むとか、神様を崇拝するとか言う代わりに、もっと神様に感謝するべきだと思います。自分に与えられた 毎日の小さな恵みを感じて、それを神様からの恵みだとして神様に感謝する、大声を上げて神様に感謝する、そういう心の態度が、今、私たち、自分はクリスチャンと思い込んでいる人たちに、最も必要なことではないでしょうか。
(2014.6.7.)


タグ:汎神論??
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2014年06月01日

例年の「タツノオトシゴ会」の最後の記念公演「水の世界〜たつのおとしご〜」を佐藤修君から招待状をもらってみてきました。東京の日本橋劇場で昨日2014.5.31 12時半から開演されました。これは20世紀後半のイタリアの劇作家アルド・ニコライ氏の原作で、

パリ劇場以外では、1963年からヨーロッパで好評を得た作品だそうです。
私は昨日、これを見て、二つの点で感銘を受けました。
1.一つは現代のサラリーマン生活の何か欠けたところを指摘している点でした。毎日、つまらない機械的な仕事をしていれば,自然に給料がもらえる。そういう組織の歯車的な人生の送り方に対する疑問を提示しているのだと思います
2.第二には、人は自分にしかできない神様から与えられた生き方を自由にしてゆくべきだという「自由な人生」を送らねばならないという指摘だと思いました。

この劇の主人公セレスタンは、平凡なサラリーマンとして給料を得て生きるよりは、漁師として海の世界に仕事を見出したかった。そういう夢に生きる男として描かれています。

近年、働く時間で賃金をもらえるシステムでは、日本人の本当の生産性は上がらないのではという発想が出てきています。『本当の生産性とは、働く人の自由な選択によって働くことによってだけ、向上する。』というのは、とても大切な正しい見方だと思います。いやいやする仕事は、神様の求めるところではありません。

聖書を読む限り、人が、「勝手な人の指示に従う」のではなく、「神様の指示を知り、それに従うこと。」こそが、人の生き方、人の仕事の仕方の最も正しい仕方であることが分かります。

昨日の講演の直前に友人の佐藤修君と握手し、言葉を交わしてきました。私が、『今日妻は、身体の調子が回復しないので来られませんでした。』と言ったら、佐藤君、『あなたは(神様を)信じているのだから、奥さん直さなくては、ダメじゃないですか。』と励ましてくれました。

佐藤修君は、麻布高校の高校生時代から大の芝居好きで、たくさん芝居を演出してきました。そして、「芝居がやれると思って」NHKに入社しました。そうしたら、意に反して人事部のほうに回されて、待ちに待った定年を機に、毎年このタツノオトシゴ会の芝居の公演の演出を赤字で手掛けてきたのです。

その点、やはり大量の赤字と莫大な時間の消費を覚悟の上で 「イエスの福音誌」や聖書の言葉・英文の聖書翻訳のブログを出し続けてきている「私」 と共通するところがあり、その「道楽(芝居)にお金を使う(佐藤君の言い方)」点で、私は佐藤修君と気が合ってきました。

周りの人は、この芝居のセレスタンに対すると同様、そのやり方には、無理解と批判が絶えません。しかし、それにもめげずに、自由と理想を追求する姿に、 たとえば、この芝居のセレスタンの姿に、人の「本当の仕事のへの心の態度」を見る見方が、養われた来るのだと思いました。

≪まとめ≫
サラリーマンとして、お金を稼ぐのは必要で、やむを得ませんが、
それを神様が自分にさせていると信じて仕事をすることが大切です。「本当の仕事の仕方」は、人 個人個人が、自由に、そして神様にあっての確信をもって「仕事」に取り組むところにあると思います。そういう仕事だけが本当に生産性を上げ、短時間で価値がある結果、クリエイティブな効果を生む仕事になるのではないでしょうか。
人にはそれぞれ、「天職(てんしょく)」というものがあるのです。それを自覚して、神様を信じながら仕事に取り組める人は幸いだと思います。
(2014.6.1.)


2014年05月28日

【シーサーブログへの投稿の開始:】 皆さん、こんにちは。このブログは2014.5.18.にシーサーブログに移行しました。その体裁を整えるのに手間取り、より精密なアクセス解析もできるようになりました。ほぼ満足がいく体裁になったので、今日から シーサーブログに投稿します。

今日は、『私たちの心を救う考え方』を話します。『ザマア見ろ、そのうち悪魔が、お前を罰してしまうぞ。』というのが、悪魔の考え方だと思います。『自分は、そのうち神様に罰されるぞ。』と恐れるのは、おもに自分の心の中に悪魔的な思いがひそんでいる証拠だと思います。

セイタン(悪魔)は、人を殺すのが、その主な目的です。神様は、人を赦し、生かすのがその主な目的です。
そこの違いをよく承知していないと、神様を装った悪魔のささやきを 神様の声だと勘違いし、結果として自分も死ぬ道にはまり込みます。

旧約聖書は、神様に信頼し、神様の守りを信じて生きてきた人たちが、【どんなにか祝福された喜びの生涯を送ったか】を その主な目的の一つとして書かれました。 
また、ジーザスの誕生と生涯を受けて書かれた新約聖書にいたっては、神様に信頼して生きることが、ほんとうの幸福の源であることを 力を込めて伝えています。

19 弟子たちが5~6Km漕ぎ出た時、ジーザスが水の上を歩いて船に近寄ってくるのを弟子たちは見て怖がりました。20 “怖がってはいけません。”とジーザスは言いました。“私だ。”(ジョン(ヨハネ)による福音6章、19から20節、Good News Bible, Good News Translation JOHN6.19-20の翻訳)』 
とある この記事は、神様が本当に現われる時、私たちは、その異常さに恐怖さえ抱くことを物語っています。普通には ないことが起こるからです。神様がなさることは、あまりにも不思議で、【何か、異常な運の巡り合わせ】としか思えないものです。

でも、そこに私たちは、ジーザスの意図と恵みを直観するときに、それが、実は神様が、私のためになさった愛の奇蹟であることに気付くのです。
そこで私たちは【生きた神様の実在】を畏れ(おそれ、神様への恐れ)を持って信じるのです。

このほかにもジーザスは『恐れてはいけません。』と何度も言いました。特に、人を恐れてはいけないことを教えました。たとえば『26 “だから人々を恐れてはいけません。今覆われているものは、あらわにされるでしょう。そしてすべての秘密は知られます。27 私が暗闇で言う事をあなたたちは、明るみで繰り返しなさい。そしてあなたが一人で聞いたことは、家の上から広めなさい。28 身体を殺して、魂を殺す事が出来ない人たちを恐れてはいけません;むしろ身体と魂の両方を地獄で破壊できる神様を畏れ(おそれ)なさい。”(マスューによる福音10章26から28節、Good News Bible, Good News TranslationMATTHEW10.26-28.の翻訳)』とあります。

また、『31 そこでジーザスは、ジーザスを信じた人たちに言いました、“もし、あなたたちが私の教えに従うなら、あなたたちは、ほんとうに私の弟子なのです。;32 あなたたちは真理を知るでしょう、そして真理はあなたたちを自由にするでしょう。”(ジョン(ヨハネ)による福音8章、32節、Good News Bible, Good News Translation JOHN8.32.の翻訳)』とも言いました。ジーザスを信じて得た自由は恐れを取り除くのです。

≪まとめ≫
神様の守りを信じ、【ジーザスの愛を信じて生きる限り、】私たちはかならず、よりよく、今を生きる新しい道を示されます。そして、神様に守られた「奇蹟に満ちた毎日」を自覚して生きることが出来ます。
聖書を正しく読めば、『律法を守らなければ神様に罰せられるぞ。』という悪魔の脅し【実は悪魔が人を殺すことによって、人を広い意味で神様の振りをして罰している、その脅し】を
私たちは、神様からの声だと勘違いすることはありません。

(2014.5.28)


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2014年03月30日

【通知】:皆さん今晩は。今回、KDDIのラブログのサービス停止に伴い、このブログ(KDDIのラブログ)に、私は2014.4.1.から投稿出来なくなります。また長らくご覧いただいた このブログも2014.6.30.でラブログ上では閲覧できなくなります。

そこで このブログ(聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳)は、近日中に「シーサーブログ」に移行する予定です。いま、その準備を進めております。
2014年6月中には移行の手続きを 終えたいと考えています。それまで、しばらく新規の投稿はお休みになります
今後、「シーサー(Seesaa)ブログ」の上で お目にかかれると思います。
なお、従来投稿しました518本のブログは、形を変えて 引き続き「シーサーブログ」に引き継がれます。

私は今後は、新たな思いを持って「聖書の言葉の解釈・英文の聖書翻訳」を書き続けてゆきたいと考え祈っております。  
以上、とりあえず お伝えします。               花田 桂一
(2014.3.30.)

2014年03月16日

今日は、『身体(からだ)は、非常に大切だ。』ということをお話しします。身体を軽く見るべきではなく、尊び、力を尽くして、思いを尽くして、十分に休養も撮り、栄養、運動に気を使って、大切にするべきだというお話です。英文聖書からの私の翻訳ですが、新約聖書に、

11 ジーザスを死から生き返らせた神様の聖霊が、あなたたちの中に住んでおられるなら、死からクライストを生き返らせた方は、あなたたちの中にクライストの聖霊があることによって、あなたたちの死ぬはずの身体(mortal bodies)にも、生命を与えてくださるでしょう。(ロウムの人たちへのポール(パウロ)の手紙(ロマ書)8章11節、Good News Bible, Good News Translation ROMANS 8.11.の翻訳)』とあります。
2014.3.5.のバイブルクラスでここを読んで私は何か新しい重要な真理に気づいたと思いました。この言葉で私は生かされたのです。 そこで今回、それを書きます

いろいろな解説書を読みますと、ほとんど従来、ここは、『人の死後の肉体の復活を指して言ったものと受け止めているようです。』 ところが、私はそれは間違いだと気づいたのです。


【肉体の大切さ】
ここを、「【人の死後の肉体の復活】を指して、ポール(パウロ)が言ったと受け止めるのは、間違った解釈だと思います。」
その間違いは、『霊的な命が最も大切で、肉体的命は比較的軽いものであり、むしろ罪そのものである。』という考え方から出ているのです。

この部分の前後で、しきりに使われている「肉体」とか「肉」という言葉をポール(パウロ)は使わずに、ここは、日本語の聖書でも、英語の聖書でも「死ぬはずの体(からだ)」と翻訳されています。「肉」「肉体」と「死ぬはずの体(からだ)」との違いは微妙なですが、ここで「肉体」と言わずに「身体(からだ)」と言ったところに、これは肉体の復活を意味してはいないことが暗に示されています。

この8章の1~17節までに日本語聖書では、「肉(にく)」という言葉が、8回も出てまいります。その部分は、英文聖書では、すべて「the flesh」が使われています。

【「肉(にく)」と「the flesh」の微妙な違いについて。】
肉(にく)」は、広辞苑を見ると、「精神に対する肉体」と書かれています。同時に「主として筋肉からなる部分」とあります。「精神に対する肉体」と言われますと、それは、精神に反した肉体、精神を失った肉体のように受け止められます。 だからでしょうが、日本語では、「肉(にく)」という言葉は、「肉の欲望」「肉欲」つまり「性的な関心」をただちに思い起こさせます。
この「肉欲」は、広辞苑を見ると分かりますが、つねに「性欲」を意味する言葉です
ですから、このように性欲に結び付きやすい 「肉(にく)」という日本語の翻訳は、ここでは不適当だと私は考えています。
the flesh」については、OXFORD英・英辞典を見ると、第1の意味は、「動物や人間の骨と皮との間にある柔らかい部分」と書いてあります。そして、「人のこころや、たましいではなく、人の身体的な必要性と性的な必要性を考えての身体のこと。」と書いてあります。つまり、必ずしも、日本語ほど、「性欲」だけを連想させる言葉ではありません

もともと、ギリシャ語では、「the flesh」は性欲のことを言っているのではありません。Erik Roth宣教師によれば単に身体(からだ)のことを言っている言葉だそうです。
そこで、Good News Bible, Good News Translation では、この日本語聖書の「肉」にあたる部分、英語の「the flesh」にあたる部分を「human nature」と翻訳してあります。

「human nature」を、直訳すれば、「人間的な性質」ですが、「人間的な、神様への離反(スィン)に満ちた性質。human sinful nature」を念頭に置いて翻訳した言葉だと思われます。「sinful」という言葉を使いたくなかったのでしょう。

the flesh」は、現代用語としては、あまりにも「筋肉の部分が良くない。」という感じも受けますが、「human nature」は、たんに、「the flesh(肉体のこと)」だけではなく、「心や、魂の神様に対する人間のスィン・罪深い部分」をも表そうとしています。
だから、読みようによっては、「human nature」のほうが分かり易いし、むしろ【原文の精神に忠実な翻訳だ】と考えられます。

【死ぬはずの身体(mortal bodies)】について
あなたたちの死ぬはずの身体(mortal bodies)」は、まさに、人の物質的な身体そのものをあらわした言葉でしょう。いわゆる肉体でもなく、肉体を含んだ、良い悪いという価値とは無関係な広い大きな言葉です。

さて、このロウムの人たちへのポール(パウロ)の手紙(ロマ書)8章11節によると、その私たちの身体(からだ)に、聖霊の助けによって、命が与えられるというのです。それは、何を意味するか。それは単に死後の復活ではありません。「今生きている私たちの身体に命が与えられ、生き生きとしてくる。」ということを言っているのではないでしょうか?  つまり、私たちの身体の健康が聖霊の働きによって促進されることを意味しているのだと、私は気づきました。
私たちは、私たちの中にクライストの聖霊があることによって、身体も、生き生きとしてくる、そして健康が促進される。 そのことは、本当にあることだし、ありがたいことだし、事実です。

『まとめ』
「肉体」と「精神」と「こころ」は、今回ロシアのソチでも開催されたパラリンピックでも、人間に最も重要とされる三つの要素とされています。 そして、その精神の象徴として、赤、青、緑の魚が泳ぐようなシンボルが使われています。

それほど肉体、正確には身体(からだ)は、人間が持つ大切な一つの要素なのです。
『身体』が大切だと言っても、【人の死後の霊的な意味での復活】を私は否定しているのではありません
しかし、生きている「私たち肉体、身体(からだ)を持った人間」は、この生きている期間には、それぞれに与えられたハンディキャップのなかで、知恵を尽くし力を尽くして、その身体を健康で長寿命に保つべきです。そして神様を愛し、弱い人、困っている人を愛するために、その身体を使って、それぞれの仕事を続けるべきです。


33 だから人は、情熱を尽くし、心をつくし力(ちから)を尽くして、神様を愛さなければなりません;そして自分自身を愛するように、その身近にいる人(neighbors)を愛さなければなりません。この二つの戒めに従うことは、祭壇に動物をささげたり、神様に犠牲の捧げものをささげることよりもはるかに重要です。(マスュー(マタイ)による福音12章33節、Good News Bible, Good News Translation MARK12.33.の翻訳)」とジーザスが言いました。 ここでの「力(ちから)」とは、「精神力」だけではなく「身体的な健康から来る力」のことをも言っているのだと思います。

だから、私たちは、自分の身体の健康の維持発展を心掛けて、その「肉体的な命、つまり、身体(body、からだ)」を「神様の栄光」、「神様の喜び」を表わすために、使わなければいけません。身近のほかの人の命をちぢめるようなことをしてはいけないし、ほかの人の命をちぢめたり、ほかの人の健康を損なうような心も持ってはいけません。

この考え方が、これまで ほんとうの人類の文明や文化の発展を生みました。
それはもちろん神様の恵みと神様の力によって創造されたものです。
人は、生きている今の自分の身体を使って、毎日そういう活動をするようにと、神様もジーザス・クライストも、私たち人間に求めておられるのではないでしょうか?

(2014.3.16.)

2014年01月08日

新年にあたって思ったことは、『8 “私の思いは、あなたたちの思いとは異なっていて、私のやり方は、あなたたちのやり方とは違っています”と主は言われます“9 天が地の上に高くあるように、私のやり方と思いはあなたたちのより高く上にあるのです。”(アイゼイヤ(イザヤ書)

55章6〜9節、Good News Bible、ISAIAH 55.8-9の翻訳)』という聖書の言葉です。私の大好きな言葉で、いろいろなところに何度も引用しました。今年新年にあたって、このことを改めて、別の角度から、【本当の真理だ】と思ったので書きます。

まだブログにも、「イエスの福音誌」にも書いていませんが、ここ1年くらいの間、私の身辺には、きわめて異常な事態が続いて起きています。体調の不良もそうですが、それに伴って、医師たちらの指導も加わって、新しいことをいろいろと始めました。始めたというより、神様にはじめさせられたのです。

そのため、いぜんほど聖書もあまり読まなくなりました。読む暇がなくなったのです。その忙しさのほんの一例を上げますと、昨年4月から日本福音ルーテル東京教会Erik Rothさんのバイブルクラスに参加するようになりました。一度も欠席せず今までのところ全回に参加しています。また私が英語礼拝に出た時、英語が聞き取れないので、英語を勉強しなければとErik Rothさんに申しましたら、私のところに喋りにいらっしゃいと言われるので、7月からは、毎週Erik Rothさんと30分程度英語で会話をさせてもらっています。そして録音してCDに焼き付けて車の中でも聞きかえしています。同じく昨年4月から「Fit.XTokyo.新宿」に、週2から3回通い始め、実質一回1時間ほど「運動」を始めました。特にこのジム通いは、いずれも、すべての主治医が、とても良いことだと絶賛し、勧めてくれています。また、家の片づけと整理がとても必要だと神様に教えられて、5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)を目指していろいろと家具を作ったり、部屋の模様替えを進めています。

こういうことは、私がこれから神様のために働いてゆくために、どうしても必要な題一歩だと分かりましたから、なおさらこのようなことを進めています。
これらは私が計画してしたいと思ったことを必ずしもしているのではなく、私の祈りを神様が聴いてくださって、ひとりでに事態が進んだのでした。

私の一日は、このところ、そのようなことで進んでいます。初めに書きましたアイザイヤ(イザヤ書)の『8 “私の思いは、あなたたちの思いとは異なっていて、私のやり方は、あなたたちのやり方とは違っています”と主は言われます“(アイゼイヤ(イザヤ書)55章8〜9節、Good News Bible、ISAIAH 55.8.の翻訳)』という言葉を、実感しているところです。

≪まとめ≫神様は、思いがけずに、私たちに私たちの思いとは違ったことを強制されます。それは、『神様の思いが、私たちの思いとは異なっているからだと思います。』だから私たちは、自分があらかじめ決めた計画に固執して、惰性的に、ことをするのではなく、思い切って新しいことに挑戦することを神様は求めておられるのだと思います
Erik Rothさんも、『人は同じことばかりしていてはつまらない、教会も違うことをし始めないと今のキリスト教会は来会者が極端に減って行って、近いうちに、無くなってしまう。牧師も神学ばかり研究していてもつまらないでしょう。』と言われたことも思い出します。
私も今、規則やきまりや古い本や教科書の指示に従わず、違ったことをし始めています。それで、皆様には、もどかしいと思われる方もおられることとは思いますが、そんな事情なので、ご理解ください。
これが、新しい年を迎えた初めに、誰にもとても必要なことと思えますので、取り上げました
(2014.1.8.)

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2013年12月28日

昨日は11時にベッドに入ったのですが、お手洗いに行きたくて我慢できず、夜中の2時20分に飛び起きました。お手洗いに行った後、漢方薬や入眠剤を飲むためにリビングの机に向かいました。そしたら手がテレビのリモコンに触ったらしく、急にテレビのBS1が点きました。

それをNHKの総合テレビに替えたところ、聞きたくない話が飛び込んできました。これは神様が、この番組を見なさいということだったと あとから気づきました。
それはNHKの解説員10人くらいによる討論番組でした。ある解説員が最近の【資産に課税する考え方】については、『一生懸命に節約してお金を貯めたのが何故いけないのか?』という議論がある。』と言い始めました。『同じ給料をもらっていたのに お金がない人というのは、ぜいたくをしてドンドンお金を使ってしまったからではないか?』という議論があると言っっていたのです。

私はこの考え方を聞いて、これは、聖書に教えられている考え方ではない とんでもない考え方であると気づきました。それはジーザスの考え方とも、聖書の考え方とも全く違うと思いました。しかし、これは、日本人のおそらく大多数が、考えていることでもあると思い、実に残念でした。

ジーザスは、お金を貯めるだけで、そのお金を貧しい人のために使わないことがいけないと いろいろな個所で言いました。たとえば、『21 ジーザスは彼に答えて、“もしあなたが完全になりたにのなら、行ってあなたが持っているものを全部売って、そのお金を貧しい人たちに渡しなさい、そうすればあなたは天に宝を持つでしょう; そうしたら来て私に従いなさい。”(マスュー(マタイ)による福音19章21節、Good News Bible, Good News Translation ,MATHEW19.21.の翻訳)』と記されています。これは 「いわゆる金持ち」を強く非難したのです。旧約聖書も、いろいろな個所で「貧しい人たちを大事にするように」と言っています。
聖書では、弱い人を助けないで、お金を貯めることを厳に戒めています。
聖書には、弱い人や貧しい人は、みな自分の責任であって、貧しい人たち自身が悪いのだと発想は全くありません。弱い人には、弱い人それぞれの事情があるのです。

給料は、神様のために、自分の健康を保ったり、自分への投資に使う以外は、人のためになる良いことに使うべきです。
つまり、給料は貧しい人のため、神様のために使いなさいということで、給料や収入は、神様が貸してくださっているお金なのです! 

だからそれは もともと神様のお金であって自分のお金ではありません!   
そのことを、ジーザスが はっきり言っています。

≪まとめ≫
日本の人は、聖書に書いてあることを学んでいないし、聖書を読んでもいないから、「お金を貯めることが、何故悪い?」などと言うわけです。
私は、そういう【日本人の真理に反する「反聖書的な思想」】 に接して、今日は実に、暗い気持ちになりました。私は、『こんな日本』の これからの将来について、非常に心配し始めたのです。
(2013.12.28.)


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2013年12月26日

今日は、『日本人がなぜ、キリスト教を嫌いなのか』について考えます。私は、入院している妻を見舞いに一昨日2013.12..24.(火)に行ってきました。欲しいと言っていた 照明付きの置時計をクリスマスプレゼントとして持って行きました。入院して

ラジオを聴き続けている妻は、『ラジオで クリスマスがしきりに取り上げられているけれど、みな、サンタクロースと恋人の話ばかりで、イエス様が全然出てこないわよ。』と言って、とても嘆いていました。
どうも、ほとんどの日本人は、クリスマスは,
サンタクロースの誕生を祝う日だと思っているらしいと言うのです。


ほとんどの日本人が、クリスマスがジーザスの誕生を祝う日だと知らないようです。しかし、それは、知りたくないから知らないのだと思います。それを知ればよいのなら、暗記すればよいわけで簡単です。しかし、知りたくないから覚えたくないところが問題だと思います。

【なぜ日本人は、キリスト教を嫌いなのか】
何故聖書を知ろうとしないかと言えば、イエスなどという人物は、自分とは無関係だと思っているからでしょう。何故関係がないと思っているかと言えば、イエス、ジーザスというのは、聞くところによると、キリスト教という宗教の教祖であって、自分はおよそ宗教とは関係を持ちたくないと,つね日頃 思っているからだと言うでしょう。だからクリスマスの精神ではなく、クリスマスの楽しそうな表面だけを取り入れるのですつまり、クリスマスの宗教的な部分とかかわりを持ちたくない。だから、クリスマスを サンタクロースと恋人や家族と楽しむことで十分なのでしょう。

【日本で宗教、特にキリスト教が嫌われる原因】
日本で宗教、特にキリスト教が嫌われる原因は、二つあると思います。
1.一つは、キリスト教は科学に反する迷信ばかり信じていると思えるから、反科学的で、バカらしいと感じている。
2.もう一つは、キリスト教徒は、戦争をはじめとして、ケンカばかりしている。こんな人との和や平和をもたらさない宗教は、あってはならない宗教だと感じている。

この二つの考えから【キリスト教を嫌っている】のだと思います。これは、私に言わせれば偏見ですが、その偏見を作り出したのは、既成のキリスト教界に責任があるのです。
この二つ目の『日本でキリスト教が嫌われる原因』は、洗礼も受け、自分はキリスト教徒であると公然と言っている「人たち」にあるのではないでしょうか。
そういいう人たちの言動が、自然に反キリスト的な考え方になっている。それは、思うに、そういうキリスト教徒(クリスチャン)は、悪魔セイタンの指図に従って、悪魔的な言動を、それと気づかずに取っているのです。彼らは、「知らずに悪魔の手先」にいなっているからだと思います。
自分をクリスチャンだと思っている人たちの中にも、いっぱい悪魔的なこころが入り込んでいます。たぶん悪魔は、クリスチャンを名乗る【偽のクリスチャン】をたくさん作って、キリスト教や聖書をダメだと思い込ませて、ジーザスの考え方に反する人を増やそうとしているのです。それが悪魔の計画なのです。

そういう反省をキリスト教徒と名乗る私たちクリスチャンは、今、しなければならないのではないかと思います。

ここでは、科学に反する迷信の部分は取り扱わず、2.の『キリスト教徒は、戦争をはじめとして、ケンカばかりしている。』  という部分を考えてみたいと思います。

【ケンカの原因について。】
戦争も、そうですが、ケンカは、相手がした事や言ったことを非難する行動がきっかけで始まりです。私は、自分を棚に上げて言っているのかもしれませんが、多くのクリスチャンは、ほかの人の行いをいちいち批判する癖があります。それは、ピューリタン的な、道徳的な行いを重んじる考えから出たものと思えます。
ところでジーザスは、特定の個人について非難はしませんでした。たとえば、『43 あなたがたファリサイ派の人たちは、なんとわざわいなことか!(ルーク(ルカ)による福音11章43節a、Good News Bible, Good News Translation LUKE11.43.aの翻訳)』とは言いました。しかし、その非難の理由は、極めて正当な理由でした。ジーザスは、そこに救われた自由な信仰が無いときと、愛(人を大切にするこころ)がないときに非難したのです。しかし、それでも、彼らは怒りました。『45 そういうことをおっしゃるのは、私たちをも侮辱することになります!(ルーク(ルカ)による福音11章45節b、Good News Bible, Good News Translation LUKE11.45b.の翻訳)』と言って怒りました。

しかし、現代のクリスチャンが、人をとがめるのは、もっと非常に細かい どうでもよいような、人の日常的な行動を いちちとがめるのです。人の一挙手一投足(細かな いちいちの動作)をとがめます。こういうクリスチャンがいるから、キリスト教は嫌われるのだと思います。
これは、キリスト教の中でも、律法や行いを重んじる人たちの中に多くいます。たとえば、日本基督教団の人々や無教会主義の人たちの多くは、信仰と愛がそこにあるかどうかではなく、しばしば人を表面的な行いや言動で咎めます。これはピューリタン(清教徒)の禁欲的な精神が、ジーザスの福音に入れ替わっているからです。それで、人々の善悪を表面的な行いで、決めようとします、表面的な行いで人の信仰のあるなしさえ決まると思っているのです。
そういう人は、人の一挙手一投足までも監視していて、毎日のようにとがめます。人を馬鹿にする、軽蔑するのです。そうすることが信仰的なことだと思い込んでいる。だから始末に負えません。小さなことが非常に重要だと考えているのです。でも、それは間違いです。
戦争も、相手の行動が、絶対に間違っていると思っているから始まるのです

彼らは、自分の子供を育てるときにも、しつけだと思って、そういう風にして育てます。そのようにして育てられた子供は、委縮してしまうと同時に、育てた親がクリスチャンを名乗っていれば、キリスト教も聖書も嫌いになります。

キリスト教が嫌われる原因の一つは、ここにあると思います。つまり、彼ら自称のクリスチャンの考え方には、自由がないのです。28 人が神様の前に正しいとされるのは、信仰によるだけであって、律法が命ずることを行うことによるのではありません。(ロウムの人たちへのポール(パウロ)の手紙(ロマ書)3章28節、Good News Bible, Good News Translation ROME3.28.の翻訳)』というキリスト教の伝統的な正しい信仰は、いったいどこに行ったのでしょうか? 
彼らは、この信仰を唱えながら、人をその細かな行動から非難するのです。こういうことをする人、こういうことを言う人は、信仰が無いのだと決めつける。だから、キリスト教の各派間でケンカが絶えなくなります。
『人の行いを非難することは正しいというのが、自分の信仰である。』と言い始めれば、もはや、行いが信仰なのです。
これは、28 人が神様の前に正しいとされるのは、信仰によるだけであって、律法が命ずることを行うことによるのではありません。(ロウムの人たちへのポール(パウロ)の手紙(ロマ書)3章28節、Good News Bible, Good News Translation ROME3.28.の翻訳)』という考え方とは、まったくかけ離れていると思います。

≪まとめ≫
日本の人々がジーザスを信じないのは、日本のクリスチャンの 『人を行いで非難する態度』が原因の一つだと思います。なんでも人を非難してはいけないのではありません。非難するべきことについては、非難しなければいけません。ただし、細かな行いや、言葉尻で人を非難してはいけないということです。
しかし、そこに救われた自由な信仰が無いときと、愛(人を大切にするこころ)がないときに、人は非難されなければならないのです。
(2013.12.26.)


2013年12月23日

昨日2013.12.22.(日)、私は日本福音ルーテル東京教会のクリスマス礼拝に行ってきました。昨日は日本語礼拝と英語礼拝の合同礼拝で、聖歌隊の合唱や、洗礼式、聖餐式があり、大規模なものでした。礼拝後、充実したクリスマス祝会も催されました。Erik Roth牧師が、

話をされました。その話(説教、SERMON)に、私は非常に感銘を受けたので、私の考えを交えて、それを書きます。Erik Rothさんは、二つの重要なことを話されました。

1.今キリスト教徒の多くは、神様が働かれたのは、2,000年前のことで、今は神様は、神様は働かずに静かにしておられる、消極的に、人々を見守っておられると考えている人たちがきわめて多い。
しかし、そういう人たちは、実は、自分が受け身の消極的な人生を送っているからなのではないか。
しかし神様は実は、今も、積極的で活動的(active)な方です。という点が1点でした。

2.それと、神様は、聖書に書かれているように、2,000年以上前に働かれた方であって、それで新約聖書が出来たのであり、それは昔のことだという風に考えている人たちが実に多いのではないでしょうか。しかし、「今は、神様は働いておられない。」という考えは間違いだという点です。
つまり、現在の私たちにも、神様は生きて働いておられるのです、そうだとすると、私たちは、「神様がなさっている素晴らしいこと(wonderful things he did)」を日々経験しているはずです。そうならば、その神様がなさった恵みや素晴らしいことを、私たちは熱心に人々に話し伝えてゆかねばなりません。
そうすれば、私たちは、時代にあった新しい聖書を書き、作ってゆけるのです。というような意味のことをErik Rothさんは 話されました
特にこの後者の考え方は、日本人の目から見ると、とても、独創的で、人に霊感を与えるお話だと思います。
私も、数十年前に、先生を神様のように仰ぐオカルト集団である無教会主義の中で、人々に、同じようなことを話した時のことを思い出しました。私は、『私たちは、新しい聖書を作ってゆけるはずだと思う。』と申したのです。そうしたら、当時の無教会の周りの人々から、『花田は、とんでもなく傲慢なことを言う。』と激しく非難されたことを感じました。
日本では、ほかの分野でもそうですが、『誰も言わない ほんとうに新しいこと』を言うと排斥されるのです。
そういうことをわたしは昨日のErik Rothさんの話で思い出しました。
Erik Rothさんは、米国人だから日本人が決して言わないようなことを言うことが多いので、たいへんに参考になります。

【日本語翻訳の問題点】
1.の「神様は活動的な方である」というところを、主管牧師も関野牧師は、多くの箇所で「神様は、私たちにかかわってくださる。」と訳していましたが、間違いではないけれど、あまり当を得た翻訳ではないと思いました。
また2.の、「神様がなさっている素晴らしいこと(wonderful things he did)」という個所を「(神様がなさった)奇蹟」と訳したのも、ピンときませんでした。この「神様がなさっている素晴らしいこと(wonderful things he did)」と多くの英語の聖書に書いてあるところを日本語の聖書、特にサーム(詩篇)で、ひんぱんに「御業(みわざ)」と訳していて、「御業(みわざ)」は、人から遠く離れた抽象的な言葉に思えて、しっくりしません。

≪まとめ≫
昨日は素晴らしいクリスマス礼拝とクリスマス祝会を 日本福音ルーテル東京教会で楽しめました。神様は強力な力を持った方であって、今も日々私たちの上に素晴らしい出来事を 毎日準備していてくださり、思いがけない恵みと助けが、私たちの人生の上に加えられています。
そのことに私たちクリスチャンは気がついて、神様をたたえ、それを人々に伝え、書物にも書き残してゆく義務が、私たちにはあると思います。
今も、神様は生きておられるのです!。それを知って喜び、神様に感謝することが、とりもなおさず、ジーザス・クライストの誕生を祝う、もっとも良い、積極的な仕方であると思います。
(2013.12.23.)


2013年12月22日

【近況報告】 一昨日2013.12.20.(金)妻の輝子の左足の皮膚の潰瘍が かなり良くなったため、妻は、練馬総合病院で皮膚の移植手術を受けました。ほんとうは、1週間前の13日に手術をするはずでした。しかし、この日は朝から妻は38.2℃の熱を出し、

食事をまったくとれず、2回も嘔吐したために、手術直前の4時になって手術が延期されたのでした。妻は、食欲がなく、顔も細くなり、非常に痩せていました。この13日、宣教師のErik Rothさんが かねてからのお申し出で私がお連れして、病室に妻を見舞いに来てくださいました。
そのことを聞いて妻は、『誰も来てくれないところを来てくださって嬉しい。』と泣いて喜びました。聖餐(communion)をしてくださり、妻に「主の祈り」をするように言われました。妻はたどたどしく主の祈りをしました。妻は、私に連れられて3回ほど日本福音ルーテル東京教会Erik Rothさんのバイブルクラスに行きましたのでErik Rothさんは妻をご存じだったのです。

≪まとめ≫
私は、幸い、なんとか体は守られていますが、この、妻の入院と年末の忙しさもあって、極端に忙しく、気ぜわしく、夜も深く熟睡が出来ない日々が続いています。
1.こんなに忙しいときには、特に、私には、『あなたは正しい。あなたは神様に愛されている。』というメッセージがとても必要です。それでないと、あれもしなければ、これも早くやってしまわなければ という思いが、私の深い熟睡を妨げるのです。
2.それに、こんなに忙しいときにもう一つ大切なことは、『私が今、一番しなければならないことは、なにか?』 に気づいて、それだけをすることだと思います。
3.それと、あれはしてはいけなかった。これをするべきではなかったと 過去を責める声が 心の中から響いてくる。それも私を苦しめます。
そんな中で、神様が私を守ってくださる、神様が一緒にいてくださる、神様が私を愛していてくださる という自分の尊さに、改めて気づくことが、最も私の心の幸せに、必要なことが分かりました。
(2013.12.22.)


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2013年12月17日

今朝聖書を開いたら、サーム(詩篇)108篇12から13節が開きました。感銘を受けたのでそれを書きます。サーム(詩篇)108篇は、Good News Bibleでは、『敵に対する助けを求める祈り』との表題が付いていて、私たちの「敵」に対処する仕方が書いてある詩です。

ここで「敵」とは、何も「戦争の時の敵」ではありません。「ケンカの時の敵」とも限りません。私たちの一日の生活が、どうも思うようにうまくいかないとき、それを「敵の仕業」、「悪魔の計略」と考えるのが、私たちクリスチャンの考え方です。私たちには、悪魔が敵なのです。はっきり言えば、「悪魔的な考え方」が「敵」なのです。言い換えれば、そういう考え方を基に、『私たちの神様にあっての喜び』を私たちから奪おうとするのが、「悪魔の究極的な計画」なのです。

「事柄がうまくいかないのは、」おおくは自分に責任があるのでしょうが、それをどうしようもないのです。でも、自分の責任だと思わせるところが、『悪魔の計画』なのかもしれません

サーム(詩篇)108篇には、その最後に、
12 私たちを敵の力から助けてください;人間の助けは、何の価値も生みません。13 神様が私たちの側におられるなら、私たちは勝つのです;神様は私たちの敵を打ち負かされるでしょう。(サーム(詩篇)108篇12から13節、Good News Bible, Good News Translation 108.12-13.の翻訳)』と書いてあります。

私たちが困ったときに対処すべき『人間的な知恵』が書かれている書物はいっぱいあります。また人間的な良いアドバイスをする人たちも、いっぱい居ます。しかし、私たちは、それらに機械的に従って生活しても、何も問題は解決しません。だから、人の助けは、参考にはなるけれども、何の価値も生まない(12節)のだと思います。
それは、「それらは多分、私の特別な事情を考慮せずに書かれ、言われた言葉」だからでしょう。  だから、私たちのこころに響かないので、有効ではないのだと思います。

私の特別な事情は、神様だけが すべて ご存じです。そこに、聖書を開くことに特別な意味があるのです。
聖書を「神様の力を信じて読む」ことの重要性は、ここにあるのだと思います。なぜなら、私たちは、聖書を読むとき、「自分の心の底にある今の欲求を含めて、今の自分の すべての状態」を神様に申し上げながら、聖書を読むからだと思います。神様の前では 私たちは正直になれるのです。

≪まとめ≫
聖書を開くと、それは、神様の力に頼ることの重要性が至る所に書かれています。神様の力に頼るとは、神様の力を信じることですが、同時に、自分の立場、自分が今、計画していることから離れて、神様の価値順位観で自分を見つめ直すことだと思います。 
それが、たぶん、私たちに、「私の表面的な今の欲求だけではなくて、私が今、一番しなければいけないこと」に気づかせてくれるのだと思います。
自分にとらわれずに、広い立場から、つまり、 神様の目から、自分を見つめ直すときに、私たちは、「今の自分」を離れて、自分を客観的に見ることが出来るようになります。
そうすれば、そこに 古い自分にとらわれない新しい価値があるアイディア【創造的なアイディア】が生まれてくるのだと思います。
それが、『神様が私たちの側におられる(13節)』ということの具体的な意味ではないでしょうか
(2013.12.17.)


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2013年12月11日

「日本がアメリカの言いなりになっている。」として不満をぶちまける 今の日本の「超保守主義の人々」の発言を聞くと、どうやら日本が「アメリカナイズされる?」ことを憂えているように見えます。この点は非常に重大な誤りなので、忙しいなか、それを憂えてブログに書きます。

日本の保守主義者の考え方の原点は、どうもそういうところにあるようです。
一例をあげると、日本人が、英会話に非常に不得手なのは、日本が「アメリカナイズされる?」ことに反発するからだと思います。さて、
1.これらの保守主義の人たちの言い分は、日本が始めた第2次世界大戦に日本が敗れたことを まず、日本の責任と考えません。そう考えずに、いまだにアメリカが悪いと考えているように思えます。そして、この敗戦を境に設定された新日本国憲法は、アメリカの言いなりに出来上がった 押しつけ憲法であって、日本人の発想からできた憲法ではないと主張するのです。そのため、『改憲』、つまり『憲法改正?』が、その主張の基幹に据えられているのです。

2.また、これらの人たちは、「アメリカの文化」を受け入れることに反発を感じています。
そして、この反発は、日本人の心の奥底にも、深く根ざしているようで、それは、「欧米のキリスト教」に対する「反発心」を伴って、日本の知識人や日本のキリスト教徒の間にも蔓延しています。それは、日本の小さな宗教集団であった日本の「無教会主義の主張」に すでに含まれていました。そして、その考え方は、今も、多くの人々に受け継がれているようです。
それはとても不思議なことですが、それは日本の古来の宗教思想である汎神論にも根ざしていて、唯一神を信じる この欧米の発想に、毛嫌いを感じているように見受けられます。

無教会主義批判:
「無教会主義」は、内村鑑三が提唱して始まった日本的キリスト教を名乗る団体の考え方です。アメリカや欧米のキリスト教団体組織に疑問を抱いた内村鑑三は、それらを社交的キリスト教として非難し、ほんとうのキリスト教ではないとして、観念的な無教会主義を提唱しました。その内村鑑三が言った多くの言葉、たとえば「我々は、日本的キリスト教を作らなければならない。」という言葉に代表されているように、その主張は、はじめからその思想に含まれていて、それらは反欧米思想であり、また反キリスト思想であったと言わざるを得ません。
そこを詳しく説明します。無教会主義の特徴は、
1.人々の間での人間的な交流を禁じる。
2.物質文明を危険視する。
3.道徳的な行いを重んじる。
に表れていて、一見、一面、もっともらしく見えます。しかし、考えようによっては、人として生きたジーザスの愛の精神に、全く反していると言わざるを得ないものであったのです
つまりこの考え方は、似て非な、偽(にせ)キリスト教であったと言わざるを得ません。

私は、この無教会主義に表れた日本人の誤った「反欧米思想」、隠れた「反キリスト教思想」、隠れた「反ジーザス思想」が、今も、日本の社会に「超保守主義」として、姿を変えて存在していると思っています。

≪まとめ≫
ジーザスの教えの中心は、人々が、互いに愛し合うことでした。不完全な人間同士が愛し合うということは、
1.その互いの人間的な欲望― つまり、生存欲、食欲、性欲、活動欲、睡眠欲、理想達成欲、愛されたい欲望、などを悪いものとしてではなく、神様の意志がこもった「非常に良いもの」として受け入れることから始まります。 私は、それが、「愛」の始まりだと思うのです。
2.愛」は、悪魔的な考え方には、強く反発しますが、一方、これらの人の正当な欲望を受け入れ、ゆるし、それらを満たすように、努めることから始まると思うのです。現在の物質文明は、そのようにして出来上がりました。
3.愛は 建設的です。建設する前に間違ったものを破壊しようとはしますが、目指す最後は愛の国の建設なのです。

結果的に日本を破滅に導こうとする、超保守主義など、人権を無視する、あらゆる悪魔的な試みに対して、私たちはあくまでも抵抗しなければならないと思うのです。
(2013.12.11.)


2013年12月03日

妻の輝子の3年前の左足の皮膚の潰瘍が1か月ほど前から再発しました。それが日ごとに広がって非常に悪くなったので、2013.11.29.(金)に練馬総合病院創傷センターに1か月の予定で入院しました。それで私はまた一人暮らしになっています。

妻の入院が決まった2013.11.28.の夜、ベッドで聖書を開けていましたら、1ジョン、つまりジョン(ヨハネ)の第一の手紙【ヨハネの手紙一】4章の後半が目に留まりました。それで感動しましたので、今日は、そこを翻訳して解説します。そこには、
15 もし私たちが、ジーザスは神様の息子であるとはっきり言うなら、私たちは神様と一緒に住んでいるのであり、神様も私たちと一緒に住んでおられるのです。16 そして私たち自身、神様が私たちのために与えてくださった愛を 知りまた信じているのです。
神様は愛です、そして愛に生きている人たちは、神様と一緒に生きているのです。そして神様はその人たちと一緒に生きておられるのです。17 愛は、私たちの中で完全なものになっており、それは私たちが、最後のさばきの日に、勇気を持つことが出来るようになるためです;そして私たちのこの世においての命が、クライストの命と同じだからです。18 愛には恐れがありません;完全な愛は、おそれを取り除いてしまうからです。ですから、恐れている人の中では、愛は完全ではありません、何故なら、恐れは、罰と関係があるからです。
19 私たちは、神様が最初に私たちを愛してくださったから、愛するのです。20 もし私たちが、私たちは神様を愛すると言いながら、他の人たちを嫌うならば、私たちはウソつきです。何故なら、もし私たちが目に見える、見たことのあるほかの人たちを愛さないならば、私たちは、目に見えない、見たことのない神様を愛することはできないからです。21 クライストが私たちに与えてくださった命令は次のようなものです:神様を愛する者はだれでも、ほかの人たちをも愛さなければなりません。
(1ジョン(ヨハネ)4章15から21節、Good News Bible, Good News Translation 1JOHN4.15-21の翻訳)』と書いてあります。
これも、ジョン(ヨハネ)独特の言い回しの特徴が良く出ており、文章は理論的というより、直観的、霊的、信仰的です。

私たちクリスチャンは、私たちの判断の基準で、人を判断するのではありません。そうではなく、神様の目で人を判断するのです。だから、私たちは、お金をたくさん持っているからといって、お金持ちを尊敬しません。有名人に心酔しません。実力者にすり寄りません。
かえって、虐げられている人たちを擁護し、人がほんとうに必要としていることを満たし、貧しい人に同情しお金をわたし、病を癒し、悩んでいる人たちを慰めます。
ここでジョン(ヨハネ)が言う「愛」とは、そういうものだと思います。男女間の愛も、夫婦間の愛も、この線に沿って行われて、ほんとうに うるわしいものとなるのです。神様が、私たちを最初に愛してくださった「愛」(19節)とは、実はそういうものだったと思います。

「愛」とは、人のために自分を捨てるというような 単純なものではないと思います。

≪まとめ≫
【ジーザスが、神様の息子である証拠】
ジーザスが、神様の一人息子である理由は、ジーザスが、私たちのすべての不具合や失敗やスィン・罪をゆるし、ジーザスを信じる私たちを 『神様の前に正しい者』として受け入れてくださったからです。 そして、私たちに、『永遠的な命』を与えてくださいました。このことが、ジーザスこそが、神様の一人息子であることの証拠なのです。
私たちをゆるしてくださったということは、私たちが犯したそういう悪や罪よりも、もっと大きなもっと悪い「悪」「スィン・罪」が、実はあるからです。 
もっと悪い「悪」とは、「神様」を信じない、「神様」を慕わない悪のことです。ここで「神様」と言ったところを、すべて「真理」「ほんとうの事」と言い換えれば、多くの皆様に分かると思います。
「真理」の存在を信じない、「真理」を知ることを慕わない学者たちや人たちは、必ず、悲惨な生涯を送ることになるからです。それは「真理」は神から出るからです。
(2013.12.3.)


2013年11月25日

昨日は11時半にベッドに入ってすぐに寝つけましたが、どうしても継続して眠れず、1時20分に目を覚ましてしまいました。そこで聖書を開いたらサーム(詩篇)96篇の1から3節が目に留まりました。眠れそうにないので、これのGNTの訳を翻訳してから寝ようと

午前2時に起床し、このブログを書きました。このサーム(詩篇)には、
神様、最高の王 (1歴代誌16.23-33) 主に向かって新しい歌を歌え! 主と全世界に向かって歌え! 2 主に向かって歌い、主をたたえよ! 主が私たちを救われたという良い知らせを 毎日皆に伝えよ。 3 主の栄光と主の喜びと すべての国民に対して力強くなされたことをいい広めよ。(サーム(詩篇)96篇1から3節、Good News Bible, Good News Translation PSALM96.1-3.の翻訳)』とありました。
これは、明らかに、「神様の救いに満ちた愛」をたたえる歌です。
1.救いは、人に新しいこころを与えます。だから、新しい歌が出てくるのです。
2.そしてしかも、その神様を賛美する歌は、救われた人々である仲間に対してだけ、伝えられるのではなく、「皆に」、「すべての国民に対して」いい広めようという心を生むのです。
いい広める方法は、必ずしも言葉によるだけではなく、その心がこもった音楽であったり、絵画であったり、詩であったり、そのほかのすべての作品であることもあるでしょう。
でも、それらは、「神様の救いに満ちた愛」をたたえるこころが、間接的に伝わってくるものでなければなりません。
3.その伝える歌の内容は、主のgloryです。「glory」とは、普通は「栄光」と訳しますが、その内容は、「主のすばらしさ」と「主の威厳」と「主の喜びのこころ」のことです。それを人々に告げ知らせよ、言い広めよ。というのがこのサーム(詩篇)の趣旨です。

ですから今晩 このサーム(詩篇)を読んで私は深く慰められたのです。なお、ここの「力強くなされたこと」というところは、日本語聖書では、「驚くべき御業(みわざ)(新共同訳聖書)」とか「その奇しい(くすしい)わざ」などと訳してあるところです。「みわざ(御業)」とか「わざ」などという言葉は、「神業」として一部 神道で用いられてきた言葉で、日本語にもともとはなかった日本語聖書が捻出したキリスト教専門用語で、なじみのない言葉なので、私は「力強くなされたこと」と訳しました。

≪まとめ≫
聖書が伝えようとしている「信仰」とは、結局は、「神様の救いに満ちた愛」と、「その力強さ」をたたえる「神様を心から賛美するこころ」だと思います。神様に感謝し、神様を力強く讃えることなしには、「ほんとうの信仰」はあり得ないと思います。
また、文化も そこに神様をたたえる心が、伝わらなければ、「ほんとうの文化」ではあり得ないと思います。
(2013.11.25.)


2013年11月20日

以下は、2013.10.29.午前4時20分から書き始めた三つの一連の「ブログ」の締めくくりです。 愛を伴わない性的欲望(性欲)というものがあります。それの激しすぎるものを英語で「lust」と呼ぶのでしょう。「愛のない性的欲望」を満たそうと実行するのが、

「愛を伴わないセックス」であり、それは半ば暴力的なものであり、あるいは、お互いに利己的なものであり、半ば機械的で犯罪的なものです。
「愛を伴わないセックス」は、双方が合意していたとしても、「機械的なセックス」です。それは双方がそれを望んでいたとしても、いわば 双方の「自分中心主義、利己主義」に根差して行われるからです。ですから、それは自己満足以外の何物でもなく、だから深い喜びや深い満足感は出てこないのです。もちろん、神様に対する感謝や賛美は出てきません。
「愛」は、本来、創造性や活力を生むものですが、そういうこともありません。

いっぽう 「愛を伴う性的欲望」を、厳密な意味で「恋愛」と呼んでよいと思います
キリスト教界では、「恋愛」は、多くの派で長らく禁止されてきたようです。それで、結婚も、恋愛結婚によるのではなく、ほかの人が選んだ「第3者が決定する結婚」が推奨されてきた経緯があります。それが、極端でない場合は、「お見合い結婚(arranged mariage)」という形で進められました。
しかし、それが極端な場合、「結婚式当日に相手の顔を始めてみるような結婚」が、逆に理想的な 「信仰による結婚」とされてきたようです。私が長らく居た矢内原忠雄を先生とする「無教会主義」では、それが実際行われた事実が多くあります。矢内原の次男は、自分の好きな女性と結婚しようとしたので、父親に猛反対されて、結婚を長く認められなかったようです。しかし、この種の極端なお見合い結婚は、実は キリスト教を名乗る新興宗教の一つである「統一教会」でも行われ、その集団結婚式は有名です。
この種の結婚の形態は、自然に反するものですから、無理を生み、しかも、自分たちの信仰がそれを支えるという思い込みは、「非常に観念的で傲慢な自信」に基づくものです。

このように、「恋愛結婚」を禁じる「キリスト教神学」は、とんでもない間違いを犯した「異教的な神学」であったと言わざるを得ません。

もちろん、恋愛結婚なら、どんなカップルでもよいと言うわけでは決してありません。だからこそ、ここに「理想的な恋愛」はどういうものかを書こうというわけです。

なお、「さしあたりの性的欲望を満たす目的で行われる、いわゆる『恋愛』」は、キリスト教界では、長らく、多くの派で、「不倫」、「姦淫」、「浮気」として禁じられてきました。今でも、そうです。皆さんご存じのとおりです。
しかし、この三つの言葉、「不倫」、「姦淫」、「浮気」は、またまた不適当な軽蔑と非難が、初めからこもった言葉です。場合によっては、これらは差別用語になりかねません。たとえば、日本でも長らく、浮気によって生まれた子供を父親なしで育てる女性が、「シングルマザー」として、一時期一段低いものとして、軽蔑されてきました。最近、英語では、それらを価値観や、非難の感情がこもっていない「婚外セックス(extramarital relations)」と呼ぶようになってきています。

そしてこの「婚外セックス(extramarital relations)」は、次第に「夫婦間で行われる夫婦交換セックス(swinging)」の考え方にまで進んできました。そして、「決して子供を産むことにはならない同性間の性的関係や同性婚(the same sex mariage)」までも社会的に容認するように発展してきました。 しかもそれらが、聖書的な根拠を基に支持され始めてきたのです。

これらの傾向が、古い宗教的な考え方を持った人々が言う 『人々が神様を見失った結果として行われている 間違った「神様に対するスィン・罪」の表れ』なのか、または そうでないのかは、実は重大な問題でありまして、私は、それらは皆、望ましいことではないとしても、神様のもとでの「間違った行為」では無いと考えています。

そこで、それでは、「理想的な恋愛」のあり方は何かが、大切なことになるのです。「理想的な恋愛」でなければ、それはむしろ、「神様に対するスィン・罪」あるいは「神様に対する過ち」であろうと私は、以前から考えています。

『理想的な恋愛』について。
「恋愛」は英語では、「romanntic love」あるいは、聖書では 単に「love」と言います。人間の間の「愛」です。 今日は、その「理想的な恋愛」について書きます。
特に その「恋愛の愛の内容」について、今日は、考えてみたいと思います

そういう恋愛は罪だと言い切るのは、とんでもない間違いだと思います。それは、ここで言う理想的な恋愛の愛は、純粋に精神的な愛から始まる「全人格的な愛」だからです。
聖書で恋愛と言えば、何よりも、歌の中の歌(雅歌、ソロモンの歌)の中にそれは描かれています。これによって私たちは本当の恋愛とは何かを学べるのです。
歌の中の歌(雅歌)は、この恋愛(人間同士の愛)をたたえた歌です。以下に、歌の中の歌(雅歌)を読んでいて分かる「本当の恋愛」の特徴を 箇条書き的に書いてみます。歌の中の歌(雅歌)は、ソロモン王の死後600年の紀元前4〜3世紀ころに作られた作品で、作者は 多分女性ではないかと考えられています。
1.二人の男女は、多くの異性を見比べて、相手にすべてに勝る「優れた点」を見出ている。
2.相手を互いに尊敬している。
3.相手の肉体的な美しさと精神的な美しさをたたえている。
4.自分の美しさ、自分の優れた点を自認している。
5.二人とも、その愛の関係を後ろめたく思ってはいない。むしろ、それを誇っている。
6.二人が肉体的に、また精神的に結び付くことを願っている。
7.性的交渉を 恥ずかしいことと思っていない。

≪まとめ≫
男女間の愛、あるいは、性欲の充足を目指した愛。肉体的な一体感だけではなく、精神的な一体感を求めてゆく愛。それが、そもそも人間というもの、人間同士が究極的に目指すべき「正しい欲望」なのではないでしょうか。
それが得られる背景には、お互いを尊敬し、お互いを受け入れる「愛」が欠かせません。相手を「正しい」とする寛容というか、理解に基づいた赦しの心も、不可欠です。つまり、それには、お互いに「神様の前に自分は正しい」という確信が必要です。

その確信を可能にしたのが、ジーザスの福音だと思います。尊敬されるには、尊敬されるに値する心がなければなりません。その心は、ジーザスに赦され、ジーザスを神と仰ぐ心ではあるまいかと思われます。神様の前にへりくだった謙遜な人だけが、自分が神様にゆるされたことを自覚して、そういう自分の、神様の前での尊さを始めて自覚するからだと思います。
そこに自信が生まれ、仕事をしてゆく活力も、後ろめたく思わずに、人を愛し、あるいは人を恋する「勇気」も「積極性」も出てくるのだと思います。

すべては、この『人をゆるし、人を正しいとしてくださる神様からの愛』、つまり『ジーザスからの良い知らせ』こそが、『すべての愛』の始まりだと思います。
(2013.11.20.)


2013年11月16日

2013.11.13.のブログに引き続いて、女性が男性の恋人になるための資質を書きます。考えてみると、「私が魅力を感じる女性」は、ほんとうに限られてきます。だから私は本当にめったに美しいと思える 好きな女性に出会ったことがありません。外観が美しい女性は、

かなりいっぱい居ます。特に、肉体がよく発達し、すらっとして健康そのものという感じの女性は、近年日本で増えてきて、いかにも見ていて気持ちが良いものです。
しかし、それは心の美しさとは まったく無縁なものです。それは、セックスマシーンとしての美しさです。ですから、私は見ていて、気味が悪くなり、好きになれません。けっきょく、それは「部分の美しさ」に過ぎないからです。


部分を目立たせるために、お化粧を濃くして、飾り物をつけて、高価な服を着ている人工的な女性はいっぱい居ます。私が一番嫌いなタイプです

美しい女性は、目立たない身だしなみと、目立たないおしゃれと、目立たないお化粧をしている「素顔」の女性であることが最低条件です。
人工的に無理に作ろうとした美は、決して美ではなく、逆に醜悪なのです。

前に挙げた8つの項目のほかに、
9. ウソをつく女性。これも、女性の魅力を台無しにします。それは、純真で天真爛漫(てんしんらんまん)の逆ですからね。歌の中の歌(雅歌)を読むと、ここに出てくる主人公の女性は、実に 天真爛漫です。

でも、私が魅力を本当に感じて、好きだ、抱きしめたいと思い 私が性的興奮を覚える女性は、これらの条件をすべて満たした『気品がある、そして、優しくてよく気が付く、頭の良い女性』に限られます。だからたいていの女性はすべて私から見て失格となってしまうのです。

【ほんとうの恋人】
恋人(lover)が この9つの基準で選ばれれば、ほんとうに楽しい、ほんとうに気持ちが良い交際が出来ると思います。ほんとうに気持ちが良いセックスも出来ると思います。そういう男女が夫婦になれれば、きっと精神的にも、肉体的にも うまく行くと思います。

聖書の歌の中の歌(雅歌)に出てくる女性
ところで聖書の歌の中の歌(雅歌)に出てくる女性は、男から見て、これらの特徴・資質を すべてよく兼ね備えた女性のように思われます。ウソをつかない「正直」と言えば、歌の中の歌(雅歌)5章2から6節に書かれている、「恋人である男性が女性を訪ねて、ドアーをたたいた時、」その女性が、『3 私はもう服を脱いでしまった; どうしてまた服を着ることが出来ましょう? 足を洗ってしまったのに、なぜまた足を汚さねばならないの?(歌の中の歌(雅歌)5章3節、Good News Bible, Good News Translation ,SONG OF SONGS 5.3.の翻訳)』と言ったとされるこの箇所は、いろいろな解釈があると思いますが、この女性の心に率直で、心に正直なこころがあることをよく表していると思います。

≪むすび≫
結局、「ほんとうの信仰」がある女性は、ひと目見て、最も美しく、そして、互いにすぐに親しくなれるものです。そしてそれは神様が与えてくれた直観によって 二人は結びつくのです。そしてその直観の根拠は、先に上げた9項目を持っていないことが見抜けることによるのです。
本当に長続きがする こころも、体もゆるしあった恋人や 結婚相手ができるのは、そういうプロセスを経るのだと思います。

≪まとめ≫
現代のように、「愛を伴わないセックス、愛を伴わない性的交渉」が横行する中で、愛を伴った 真の恋人の関係が望まれます。そして、それが歌の中の歌(雅歌)に良く書かれていると思うのです。
ですから、男も女も、中学、高校時代からずっと続いて、それに適した勉学と訓練と「正しい信仰」の習慣を積む必要があります。
そうでないと、お互いに、飽きてしまって、ときに互いに憎みあい、嫌い合うような夫婦や、破たんした元恋人ばかりが、世の中に横行してしまうのです
(2013.11.16.)


posted by goodnews at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 「美しい女性」の条件。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月13日

キリスト教界では、『恋愛結婚は罪である。』と今から考えると とんでもないことを昔、うそぶいていたものです。【たとえば、無教会主義キリスト教】。しかし、歌の中の歌(雅歌)に代表される旧・新約聖書を 静かに読めば、恋愛結婚でない結婚こそ 罪・不適当とも言えます。

そこで、ほんとうの恋人やほんとうの愛人や、神様に祝福された結婚相手は どのようにして得られるのかが問題です。今日はこれから3日間にわたって そういう話をします。
私個人の経験からしますと、日本で『私が美しいと思える 魅力的な女性』に出会うことはめったにありません。まあ3万人に一人くらい居るかなあ。と思っています。もっと少ないかもしれません。
だから私は、ずいぶん損をしていると思います。これは、私が性的能力に劣っているせいかもしれません。しかし、そうではなく理想が高いために、魅力を感じる女性が きわめて限られているからに違いありません

私としては、まずものごとを広く、深く考えることが出来る女性にしか興味を感じません
だから、頭が良くて、学校で勉強がよくできた女性にしか 性的興味が湧きません。
たいていの女性を見ていると、言っては悪いけれど、『バカ面(づら)』に見えてくるのです。『バカ面』は、たぶん、中学、高校でも、勉強をしなかった人だと思います。
ただし、勉強といっても受験勉強のことではありません。